【インターハイ視察レポート】元松本山雅FC飯田真輝が斬る 長野県高校サッカーの現在地

松本山雅FCなどでJリーグ通算316試合に出場した元センターバック・飯田真輝氏。現在は松本山雅トップチーム強化本部に在籍しつつ、個人として東京都市大塩尻高の外部コーチも兼任する。長野県内の高校年代の試合に足繁く通っており、今回は2年連続でインターハイに出場した都市大塩尻の2試合を視察。その経験と分析眼から「長野県高校サッカーの座標」をテーマに語ってもらった。
構成:大枝 令
写真提供:東京都市大塩尻高サッカー部
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「アスリート能力」なら全国水準
違いはプレッシャーへの対応力
今回のインターハイで都市大塩尻の戦いを視察し、同時に阪南大高(大阪)、四日市中央工(三重)、流通経済大柏(千葉)といった全国強豪校の試合も観戦した。その結果として感じたのは、長野県のトップクラスの「アスリート能力」を見れば、確実に全国と戦えるレベルまで到達しているということだ。

フィジカル面で言えば、むしろ全国の選手よりも優っている部分もある。都市大塩尻の選手たちは身体の厚みもあり、2回戦で敗れた岡山学芸館の選手と比較しても決して見劣りしない体格を持っていた。走力やパワーといった基礎的な身体能力については、もはや全国との差はないだろう。
しかし、テクニックと戦術面では明らかな課題が浮き彫りになった。最も顕著だったのは、プレッシャーを受けた際の対応力の違いだ。

都市大塩尻は優れたポゼッションとビルドアップを披露していた。長野県内でならJクラブのU-18を含めても、AC長野パルセイロU-18の次くらいに完成度が高い自負はあった。
ところが全国大会では、相手からわずか20~30cm、せいぜい1m程度距離を詰められただけで、普段通りのプレーができなくなってしまった。

この現象は松山北(愛媛)との1回戦、岡山学芸館戦の両方で見られた。特に学芸館戦では、普段なら確実に止められるボールのコントロールでミスが生じ、いつもなら問題ないタイミングでのパスが相手に奪われる状況が続いた。
この差の根本には、練習環境の違いがある。おそらく全国強豪校の選手たちは、日常的にプレッシャーを受けながら練習している。そのため、都市大塩尻のプレッシャーを「いつもより楽だ」と感じながらプレーしていたはずだ。

一方で長野県の選手たちは、普段と比べて20~30cm詰められるだけで大きなプレッシャーを感じてしまう。この「慣れ」の差が、技術的な精度に直結している。全国レベルでは、1m程度の余裕があった場合でも、30cmの精度でボールをコントロールしなければ、すぐに奪われてしまう環境にある。
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普段のトレーニング環境が重要
実直な「遂行力」も強みになる
やはり大切なのは、練習から本気でボールを奪いに行く環境を作ること。長野県の選手はファウルを恐れる傾向があるが、本気で取りに行かなければ、厳しいプレッシャー下で使える技術は身に付かない。
ノンプレッシャーでの技術練習だけでなく、プレッシャーを受けながらでも正確にボールをコントロールできる技術の習得が必要だろう。30cmの精度でボールを置ける技術レベルまで引き上げることが求められる。

私が現役時代に師事したエルシオ・フィジカルコーチ(元松本山雅FC)がよく話していた「メンタル→フィジカル→テクニック→戦術」というピラミッドで考えると、最も重要なメンタル面での差が大きいと感じた。
全国大会に出場する選手たちの「勝ちたい」という気持ち、「今この瞬間にボールを奪いたい」という執念は、明らかに異なっていた。それはピッチで発する声の量と質、プレーへのこだわりといった現象に表れる。勝負に対する本気度の違いを感じた。

興味深いことに、全国強豪校では監督が試合中にそれほど多くを語らない。戦術さえ落とし込んであれば、選手同士が「なぜ今裏に抜けないんだ」「なぜ俺を見ないんだ」といったコミュニケーションを自発的に行い、問題を解決していく。
一方、長野県では監督が試合中に多くの指示を出すケースが多い。
ただ、長野県の選手たちは真面目で、指導されたことを確実に遂行しようとする姿勢がある。この特性を生かしながら適切な環境と指導方針を提供できれば、全国レベルでも戦える力を必ず身につけられるはずだ。

ただし、ピラミッドの頂上である最後に戦術が乗る――という順番をはき違えないことが大切だ。
アスリート能力は既に全国レベルに到達している。あとは、その能力を全国の舞台で発揮できるだけの「環境」と「メンタリティ」を育てることができれば、長野県サッカーの飛躍は十分に可能だと確信している。

PROFILE
飯田 真輝(いいだ・まさき) 1985年9月15日生まれ、茨城県出身。流通経済大柏高、流通経済大を経て2008年、当時J1の東京ヴェルディに加入した。10年夏に当時JFLだった松本山雅FCに期限付き移籍をすると、11年に完全移籍へ移行し、チームのJ2昇格に貢献した。2012〜19年のJ2とJ1時代も主力のセンターバックとして定着。キャプテンマークを巻く時期もあったほか、187cmの長身を生かしてセットプレーからのヘディングで得点を量産した。21年に現役を引退。現在は松本山雅FCのトップチーム強化本部に在籍するほか、個人として都市大塩尻の外部コーチも務める。好きなモビルスーツはザクⅡ改。