「ぬるい集団だった」松本山雅・早川知伸監督の後悔と“ラストメッセージ”

J3リーグはレギュラーシーズンの全日程を終え、松本山雅FCは11勝10分17敗(勝ち点43)の15位でフィニッシュした。J3で4年目となった中で最低の順位だっただけでなく、2012年のJリーグ参入から数えても過去最低の成績。その理由はなぜか――。今季限りでの退任が発表された早川知伸監督への取材を基に、マネジメント面から要因を探る。

文:大枝 令/編集:大枝 史

5試合も残してJ2昇格が消滅
監督が固めた「責任の取り方」

2025年11月3日。

鹿児島・白波スタジアムで敗れ、5試合を残してJ2昇格の可能性が消滅した翌日のことだった。信州グリーンフィールドかりがねで1対1の取材を終えると、早川知伸監督の方から最後に切り出してきた。

「私いつも、『自分の責任です』と言うじゃないですか」

確かにそうだった。試合後の会見で総括をする際、まず広報担当から事前に聞いたサポーターの数を挙げて感謝を口にし、敗れれば「全ては自分の責任」と繰り返してきた。

背筋を伸ばして耳を傾けると、指揮官は続ける。

「じゃあその責任をどうやって取るのか、という話」

――辞任。

その時点で、トップチーム強化本部やクラブ首脳陣と話をしているわけではなかったという。ただ、胸中での決意はすでに固まっていたし、そもそも“肩たたき”が行われる頃合いだと覚悟もしていた。

「目的は一つで、このチームが良くなればいいと思っているだけ。本当にチームが良くなるのであれば、(監督交代という)劇薬を導入した方がいいんじゃないかと思ったりもした」

そして11月25日。小澤修一社長、都丸善隆スポーツダイレクター(SD)との3者の面談で契約満了が通達され、今季限りで松本山雅FCの監督を退任することが決まった。

「今シーズンは、『昇格』のミッションを強い覚悟と責任で臨んだシーズンではありましたが、このような結果、成績になってしまったこと、すべての責任は自分にあると感じております。心よりお詫び申し上げます。大変申し訳ございませんでした」

最終節の前日・11月28日にクラブからリリースされた退任の報。コメントの冒頭にはそうある。監督である以上はもちろん「責任」は不可避なのだが、ではなぜここまで低迷したのだろうか。

「ハードワーク」「規律」どこへ
指摘なく“甘えの構造”浮き彫りに

そもそも、「切り替え」「ハードワーク」「規律」を大切にスタートしたはずの今季。トレーニングキャンプでは強調されていたものの、いつしか影を潜めて竜頭蛇尾になった。

つまずきの始まりは開幕直後、松本のグラウンドが使えず山梨県まで練習に“遠征”していた時期だった。一日1時間半近くをかけてトレーニングに赴き、松本まで帰る。午前と午後の2部練習はできない。選手たちは目に見えて疲労の色が濃かった。

そこでまず、「優しさ」が出た。

「山梨に通っていた2週間は、チームを作っていく中ですごく難しくなった。せっかくプレシーズンで厳しくやって仕上げに入っていく中で、『より』(強度を上げて浸透を図る)というところができなかった」

「それでも『ケロッとやってくれよ』と思って、あえて選手には言わなかったけれど、やっぱり不満の種というか…逃げ場になってしまって、楽な方に逃げる姿勢が変わらなかった。心を鬼にしてやればよかったけれど、自分にそこまでの裏付けがなかった」

日々のトレーニングの中からも、徐々に「切り替え」を強調する促しは消えていく。強度もコントロールされ、2部練習で鍛えたい局面で1部練習に留めることも少なくなかった。

攻撃に主眼を置いたオーガナイズであれば攻撃にフォーカス。「言わなくてもわかるはず」という期待だったが、「言わなければ抜け落ちる」ベクトルのほうが遥かに強かった。

かくして、「切り替え」「ハードワーク」は組織の色から消滅。それは「規律」についても同様だった。

「日々の体重を記入する」「GPSデバイスを忘れずに戻す」などのルールを設定した。当初は厳格に運用していたものの、徐々に実効性が消失。罰則の内容も一部選手の反発を招いた。

そもそも早川監督が松本山雅でヘッドコーチなどを務めていた過去2年の間で、目に余ったという部分。「ただそうと思ってルールを設けたが、改善されることはほとんどなかった。最終的には拘束力がない状態になってしまった」と振り返る。ルーズさも排除できなかった。

これらの問題は根が同じだ――と、指揮官は分析する。

「ルールはあるけれど、それに対して本当に指摘しているかどうか。こちらがこだわって大事にしているのだから『そこは絶対やってくれ』と言及しなければいけなかった」

「そこができていなかったということになるし、本当に(切り替えやハードワークなど)サッカーの部分と同じだと思っている。それができず、ぬるい集団になってしまった」

「優しさ」は紙一重で「甘さ」に転じた。言われずともできる主体性のある集団を目指したものの、その期待は裏目に出た。

かくして個々のクオリティはあるものの、走れず、戦えず、切り替えが遅く、ルーズで、さりとてボールも繋げない集団ができあがった。

それらをひっくるめて、早川監督は「自分の責任」と口にするのだ。

「ハヤさんは優しいから」。シーズン中、選手たちからはこんな声が多く聞かれた。人間性に対してはおしなべて肯定的だったが、その優しさに対して「甘えの構造」が強化されていた。

「結局(マインドを)変えられなかったのがこのチームの全て。それはベテランもそうだし、メンタル的に安定しない選手とか、真面目ではない選手もいる中で、彼らをいかにそうさせるかが大事だった」

「それ以外の選手たちは当たり前だけれど、一生懸命必死にやる。でも、やらない方に引っ張られている感じもあった。そこを改善できなかったのが一番の問題で、自分の反省すべきところ」

早川監督は内省を繰り返し、「結局は自分の甘さが出た」と総括するに至った。

この一年をターニングポイントに
後任の鍵は実績、遂行力、育成

それでも松本の地で残したかったものはあるし、成功に導きたかったことも確か。縁もゆかりもない土地――というわけではなく、2019年にJFA公認S級ライセンス(現JFA Proライセンス)取得カリキュラムの一環で、当時J1だった松本山雅に1週間来ていた。その当時の記憶が鮮烈だった。

当時の反町康治監督らコーチングスタッフの作業場に同席。張り詰めた空気の中で次のJ1第28節アウェイ・ベガルタ仙台戦に向けた準備を進めていた。作業は連日深夜に及ぶ。

そして試合本番は、開始2分に決めたMFセルジーニョの1点を守り切って勝利。試合後、反町監督から「言った通りになっただろ」と声をかけられた。感銘を受けた。

「充実した時間を過ごせたところから始まって、このクラブの良さをすごく感じた1週間だった。そこがあったから、(2023年にコーチ就任の)話をもらった時には、二つ返事で『行きます』という感じだった」

横浜FCとの契約は残っていたものの、迷わず松本へ来ることを選択。今シーズン監督就任の際には、現清水エスパルスGMの反町氏からも個人的なつながりの中でエールを送られていた。

「現場の発信力から(会社も)巻き込んでいけ――というようなことをアドバイスしてくださった。その中で自分もそういうふうに思ってやろうとしていたけれど、なかなか力及ばずだった」

思えば昨シーズンは12月のJ2昇格プレーオフ決勝まで残って敗れ、再構築がスタート。SDに都丸氏が就任し、早川ヘッドコーチの監督昇格が決まり、そこから組閣が動き出した。

Jリーグ60クラブ中、最後尾に近いタイミングでの滑り出し。スタートラインの差や引き継いだチームの状況などを考慮すれば同情の余地はあるものの、それも織り込み済みで監督に就任したのも確かだ。「言い訳はしない」と繰り返してきたスタンスを、最後まで貫いた。

11勝10分17敗(勝ち点43)の15位。成績は過去最低だった。緊縮財政に伴うトップチーム運営費削減も、天候による度重なる試合中止も、アルウィン使用停止に伴う“実質アウェイ10連戦”も、愚痴の一つも言わず自分たちに矢印を向け続けた。

苦難と苦渋に満ちたこのシーズンが意味のあるものに変えるため、どうすれば良いのか。最後に、松本山雅へのメッセージを改めて聞いた。

「今年が絶対に一つのターニングポイントになる。都丸さんが来たタイミングもそうだし、ここからクラブの強化も含めて一新していくスタートだった」

「松本山雅はどういうクラブを目指すのか、明確に打ち出せるといいと思う。方向性もそうだし、オンザピッチもオフザピッチもそうだし、この松本山雅という価値あるクラブのブランドをどう作っていくのか」

志半ばで松本の地を去る早川監督。その願いは、後任の指揮官に託される。

11月29日の最終節後に取材に応じた都丸SDは、水面下で人選を進める中で「実際に昇格させた実績のある方。ハードワーク、球際、勝利への執念、規律などの要素を大事にして強化しながら、チームを作ってくださる方。あとは若い選手も多いので、選手を伸ばして育成することにも長けている方をイメージしている」と明かした。



たくさんの方に
「いいね」されている記事です!
クリックでいいねを送れます

LINE友だち登録で
新着記事をいち早くチェック!

会員登録して
お気に入りチームをもっと見やすく

人気記事

RANKING

週間アクセス数

月間アクセス数