B1川崎で3年目を迎える飯田遼 “挑戦者の冒険譚”は右肩上がりの新章へ

B1中地区・川崎ブレイブサンダースのSG/SF飯田遼(諏訪郡富士見町出身)が、加入2年目の2024-25シーズンを飛躍の一年とした。初めて全60試合に出場し、このうち39試合で先発。学生時代から着実にステップアップし、国内最高峰のB1で存在感を示す。「日々成長」という言葉を体現している30歳。信州を退団してからの道のりを振り返りつつ、加入3シーズン目への意気込みなどを聞いた。
文:大枝 令
KINGDOM パートナー
昨季はB1リーグ戦全60試合出場
「挑戦する」姿勢を買われたか
アリーナに響きわたる美声で、ファンの視線を一身に集めた。
「心配ないさ」
「ハクナ・マタタ」
川崎ブレイブサンダースのファン感謝祭の一幕だ。スタッフが作成した本格的な衣装に身を包んだ飯田は、劇団四季「ライオンキング」の主人公シンバを熱演。「緊張するかと思ったけど、楽しかった」と白い歯を見せる。

プロ8年目。昨季はB1で全60試合出場と、キャリアハイを大きく更新するシーズンだった。その要因は――と問うと、まず周囲への感謝を口にする。
「まずは選手としてケガなく60試合いつでも元気でいられたのは、コーチ陣もそうだし、メディカルスタッフのおかげも大きい」
「ネノさん(ネノ・ギンズブルグ・ヘッドコーチ)は正解を押し付けることが一切なく、基本的に選手に判断を任せてくれていた。僕としてはそれが大きかった」

シーズン平均だとプレータイムは17分43秒、4.4得点。スタッツには表れにくいが、「フィジカルにやろうとする、“挑戦する”姿勢をもしかしたらネノさんは見ていて、それで僕を買ってくれていたのかもしれない」と言う。
この「挑戦」というワードが、飯田のバスケット人生に通底している。それがまず色濃く表れたのは、高校の進路だった。
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チャレンジャー精神は中学時代も
高校時代は東海大三に土つける
諏訪郡富士見町で生まれ育ち、中学時代にはジュニアオールスターの県選抜キャプテンを務めた。
諏訪地方と言えば、バスケットの全国的強豪・東海大三(現東海大諏訪)がある地だ。
ザック・バランスキー、福澤晃平、三ツ井利也――。現在B1で活躍する県内の有望な中学生は、軒並みその門を叩いていた。

PROFILE
飯田 遼(いいだ・りょう) 1995年4月11日生まれ、諏訪郡富士見町出身。バスケットボール一家に育ち、兄2人の影響で競技を始める。富士見南中(現富士見中)時代はジュニアオールスターの県選抜に選ばれ、キャプテンを務めた。佐久長聖高に3年時に東海大三(現東海大諏訪)を破ってウインターカップ初出場。拓殖大でも関東学生1部リーグで31年ぶりの優勝、インカレ3位などを経験した。2018年、信州ブレイブウォリアーズの特別指定選手。同年に入団して19-20シーズンまで在籍した。現在はB1川崎ブレイブサンダースに在籍して3年目。185cm、88kgのSG/SF。
しかし飯田はあえて背を向け、佐久長聖への進学を決める。
バスケットをしていた兄2人は地元の公立進学校・諏訪清陵と岡谷南でプレー。総体にしてもウインターカップにしても、南信予選で東海大三に大敗するのを末弟として見ていた。
「勝手に9年間くらい東海に負け続けている気持ちだった。全国でも勝っているからもちろん『すごい』と思っていたけど、絶対に倒したかった」
挑戦者としての精神がくっきりと表れる決断。最初に声をかけられた佐久長聖の見学に行き、規律正しい生活などに感銘を受けて進学を決めた。
そして迎えた高校3年時、ついにウインターカップ初出場を果たす。東海大三を県大会決勝で71-67と撃破したのだ。
当時の東海大三は井上諒汰(佐賀バルーナーズ)がキャプテンを務め、2年生に196cmのセンター鶴田美勇士(前アルティーリ千葉)が在籍する布陣。現在でも全国常連の同校だが、この年だけ出場を逃している。

「気持ち良かったし、めっちゃうれしかった」と飯田。一家の悲願を背負った末っ子の快挙だった。
拓殖大でも当初はBチームからのスタート。それでも程なく頭角を表し、4年時にはキャプテンを務める。その年、関東大学リーグ1部で31年ぶりの優勝を果たした。
「うまいヤツはいっぱいいる。でもコツコツやれよ」。高校の恩師・養田達也監督からもらった言葉が、道標になっていた。
上に挑み、這い上がる――。
そのスタンスは、大学でも健在だった。
信州で出合った「日々成長」
香川でも挑戦し、B1の扉を開く
そして故郷のBリーグチームで、運命的なフレーズと出合う。
「日々成長」
特別指定選手として加入した信州ブレイブウォリアーズ。勝久マイケルHCが掲げるこの言葉は、まさに飯田が歩んできた挑戦の人生に輪郭を与えた。

プロ1年目。勝久HCのほか、アンソニー・マクヘンリーとウェイン・マーシャルの2人に感銘を受けた。
「人格者だし実力も備わっている。プロとしても人としてもちゃんとしている人と一緒にできたのは大きかった」
B2優勝、そしてB1昇格――。高校時代は敵同士だった三ツ井らとともに、右肩上がりの時代に身を浸した。

しかし、B1参戦する信州に残ることはできなかった。チームの編成権限を持っていた勝久HCから、契約満了の通達を受ける。
「地元だしB1に上がっているし、僕は残りたかった。マイケルさんと一緒にやりたい気持ちがすごく強かった」
もちろん、下された決断は覆らない。
「ごめん、オファーは出せない」
「すごくつらい判断だった」

勝久HCの言葉に、自然と涙がこぼれた。
その一方で、「これがプロなんだ」という思いも芽生えた。
「自分では認めたくないけれど、実力がしっかりしていないと自分がプレーしたい場所でプレーできないんだ」
この挫折からしかし、飯田は再び「挑戦」に身を浸す。
山形ワイヴァンズでの1年、香川ファイブアローズでの2年を経て、2022年に川崎ブレイブサンダースに加入する。
とりわけ、香川での2年目が大きなターニングポイントになった。テレンス・ウッドベリーらが抜けたシーズン。飯田は逆に、自らが存在感を示す好機と捉えた。

「今までは『どうしたらチームがうまくいくんだろう』と、少し控えめな感じが強かったけれど、初めて我を出してプレーした」
「キャリア5年目で初めての感覚だった。それまでのマインドでも間違ってはいないんだろうけど、少しでも何か変えなければいけない…と、そこで思った」
チームはB3降格の憂き目に遭ったものの、自身はB1川崎へ。新天地でも2年目に飛躍する。ニック・ファジーカスが引退するなどチームに変革があった昨季、自らは大きく存在感を強めた。
川崎で3年目のシーズンに突入
“中間管理職”として周囲に目配り
そして30歳を迎え、3年目となる川崎で新たな役割を模索する。これもまた、自身にとっては大きな「挑戦」だ。
「今は(篠山)竜青さんや長谷川(技)さんとかベテランがいるので、まだ頼ってしまっている部分はある。でも僕も今30歳で中間管理職みたいな感じなので、より周りのことを見ていかなければいけない」

一皮むけるのは、プレー面でも同様。昨季は全試合に出たからこそ、学びも多く得られた。
「結局は気持ちが大事なんだと改めてわかった。『シュートを入れてやる』という気持ち、自分より一回りも二回りも大きい相手にも『少しでも嫌な思いをさせてやる』という気持ち」
「相手がやりたいプレーをさせないためには、そういう気持ちの準備から入らないといけなかった」

そうしてマインドを新たにし、相手に嫌がられる選手へと変貌していきたい考えだ。
「オフェンスでもディフェンスでも、相手にとってより脅威になる選手になっていきたい」
「嫌なところでいいディフェンスするな…とか、嫌なところでスリー(ポイント)を決めてくるな…とか。1試合で1回じゃなく、何回も思わせるように準備していきたい」

それは再び新たな挑戦であり、信州で輪郭を得た「日々成長」の営みにも重なる。
「一気に進んだとは全然思っていなくて、本当に少しずつ前に進んでいる。少しでもいいから昨日より良くなる、1カ月前より良くなる――という思いが一番強い」
「だから、本当は『優勝します』とかの方がファンの方から見たらキレイなのかもしれないけれど、一日一日を大事にして少しずつ進んでいく…という感じ」

自身のペースで、しかし着実に。愚直な歩みを止めずに来たからこそ、B1川崎で新たな領域に足を踏み入れた。同一チームで3シーズン目を迎えるのは自身初のことだ。
故郷の応援は「はりあいだね」
「誰かの劇団四季になれたら」
故郷からの変わらぬ応援も、力に変える。
オフシーズンに帰省した際、祖母らに言われた言葉がある。
「はりあいだね」
その懐かしい響きが、独特の意味合いが、どうしようもなくふるさとだった。琴線に触れ、奮い立ったという。

「『頑張れ』とも『頑張っているね』とも違う。標準語に合わせたら『ますます頑張らなきゃ』『気合い入るね』みたいな感じだと思う」
「普段はおばあちゃんも試合を見に来られるわけではないけれど、そうやって言ってもらえてまずありがたい。少しでも『頑張っている』と思えるような選手になりたい」
「スポーツは生モノ。見てくれている人が少しでも応援したくなるとか、感動するとか。負けたとしても『いい試合だった』と言ってもらえることは一番の僕らの養分だと思う」

コートの中で出し尽くす。観る者を巻き込む。楽しんでもらい、力を吹き込むエネルギーとなる。
それは自身が幼少期から好んで観劇してきた、劇団四季のミュージカルと同じだ。ファン感謝祭で再現したライオンキングは、もう10回以上観ているという。
「僕が(劇団四季から)いろんな活力をもらっているみたいに、誰かの劇団四季になれたらいい」
生まれ育った富士見町は八ケ岳西麓に位置する、人口14,000人弱の小さな町だ。広葉樹の森林が岳麓に広がる、緑豊かな土地でもある。
そこから少しずつステップアップし、舞台を川崎に移した飯田。挑戦者の冒険譚は2025-26シーズン、新章のページを綴っていく。

Bリーグ 選手個人成績 飯田遼
https://www.bleague.jp/roster_detail/?PlayerID=15826
飯田遼 選手紹介ページ(クラブ公式)
https://kawasaki-bravethunders.com/team/players/detail/id=19993?PlayerID=15826