元日本代表DF松田直樹さんを偲ぶ14回目の“8.4” 若い世代にも繋ぐバトン

今年もまた、この日がやってきた。松本山雅FCにとって、何年経とうとも忘れてはならない日だ。2011年8月4日、元日本代表DF松田直樹さんが、トレーニング中の急性心筋梗塞で逝去。国内外にショッキングなニュースが駆け巡った。あれから14年。故人を知る者もそうでない者も、しばし目を閉じて思いを馳せている。

文:大枝 令

チームは例年通り練習前に黙祷
早川監督は“横浜ダービー”を回顧

2025年8月3日。

午前のトレーニングが始まる前に、チームはグラウンドの中央に集まって黙祷。命日の4日はオフに当たるため、1日前倒しして例年の行事を執り行った。

14年。もちろん当時のチームメイトは現役選手の中にはいない。ただし、接点のあった者は複数いる。

武藤覚コーチは2003〜07年に横浜F・マリノスでアシスタントコーチを務めており、同じ釜の飯を食べていた間柄だ。MF山本康裕は2009〜10年にかけて、ジュビロ磐田の一員としてピッチで対峙した経験を持つ。

そして対戦歴があるのはもう一人、他ならぬ早川知伸監督だ。横浜FCの選手として、熾烈な“横浜ダービー”を経験した。2007年のことだった。

J1第2節のニッパツ三ツ沢球技場で行われた試合は、DF早川知伸のゴールが決勝点となって横浜FCが勝利。しかしこの試合、松田直樹さんはベンチ入りしていない。

そして横浜FMにとってリベンジマッチとなった第19節。53,916人を集めた日産スタジアムで、センターバック同士として対峙することとなった。

試合は8-1という大差で横浜FMが勝利。スコアのインパクトが鮮烈なこともあってか、早川監督は「(松田さんの印象など)そこまで余裕はなかった」と苦笑交じりに回顧する。

年齢は早川監督の1歳上。
その偉大さは、対戦せずとも身に染みていた。

「本当に僕らの年代からしたらスーパーな人。そこでのすごさはずっと感じて見ているところではあった」

「本当に狡猾さも含めて賢いし、戦うし、本当にサッカー大好きだというのが見て取れるような人。素晴らしい選手だったと思う」

そうした選手が在籍し、志半ばではありながらも足跡を残したクラブ。14年後の今、自らがその場所で指揮を執る。

「この松本山雅というクラブがこれから続く中でもずっと忘れさせてはいけないし、マツさんという人がしっかり遺してくれたとポジティブに捉える必要があると思っている」

「マツさんのことを思い出す時期は必要だと思うし、山雅に新しく入ってきた選手を含めて、マツさんが在籍していた意味をしっかりと伝えていかないといけないと感じる」

功績とスピリットは若手にも伝承
「山雅にとって特別な人だった」

そうした思いは、若い選手にも確実に伝わっている。現役時代を知らない世代がほとんどとなったが、その中でも2人の選手に話を聞いた。

まずは同郷・群馬県出身で同じセンターバックの二ノ宮慈洋。高卒4年目の今季はスタメン抜擢で脚光を浴びたものの、現在は再びメンバー外から捲土重来を期す立場だ。

今年11月で22歳。松田さんの現役時代はもちろん知らない。ただし、映像やエピソードは今なお残る。

「(年齢が)けっこう遠いからプレーは見たことがないけれど、戦う姿勢とかいろいろ聞いたりはしていた。すごいと思うし、自分もそういうディフェンダーになりたい」

黙祷をしながら、何を思ったのか――。

「(松田さんは)サッカーを楽しんでいたし、勝負にもしっかりこだわっていたと聞いた。しっかり見習いたいし、サッカーを楽しむということも気付かせてくれた」

「そういう人たちがいて今があって、自分も同じ山雅のエンブレムを背負っている。それをもう一回再認識したので、結果もそうだし、姿勢としても見せなければいけない」

遠い先輩から学べることは、今なお多い。

そして、アカデミー出身の樋口大輝。2011年当時は10歳、小学校4年生。地元の街クラブ・アンテロープ塩尻ジュニアに在籍していた。

当時の松本山雅FC U-12に対しては歯牙にもかけていなかったというが、トップチームに松田さんが加入する一報には驚いた。

「入ってくるときはすごいびっくりしたのを覚えている」

実際にU-18から松本山雅に在籍し、AED講習会を複数回受けるなどした。そうした営みを通じ、思いを新たにしたという。

「本当に山雅にとって特別な存在な人がいたんだ――と感じるようになった」と振り返る。

現在はトップチームの選手としてプレーする立場。目を閉じながら、思いを馳せた。

「人間は本当にいつどうなるかわからない。一日一日を大切に、というのは自分でもずっと思ってきたこと。表現するのは難しいけれど、後悔のないように過ごしたい」

中断期間中に取り組みたい要素
明かされた“衝撃データ”の数々

とはいえ現在はJ3の9位。J2自動昇格圏内まで勝ち点差15、J2昇格プレーオフ圏内までは同5となっている。そして中断期間前までのフィードバックに際し、衝撃的なデータがミーティングで指揮官から共有された。

デュエル勝利数、最下位。
High-speed本数、最下位。
急加速/急減速回数、最下位。

走れていない、戦えていない――。

定性的な印象が、定量的な数値で証明された格好。中断期間中は、それらに強く訴えかけながら過ごす日々となりそうだ。くしくも「戦う」のは、松田さんの象徴的な要素でもある。

樋口は言葉を紡ぐ。

「(マツさんに)『何してんだお前ら』と怒られているような気もする。サッカーができる環境に感謝しながら、やっぱり改めて本当にやらなければいけない」

サッカーの勝敗を分ける要素がそれだけではないのは大前提としても、熾烈さを増す後半戦でもこのままでは昇格など夢のまた夢。天国に顔向けできるような結果を残すためにも、「日々奔走の夏」としたい。


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