スポーツを愛する全ての人と向き合う 百瀬整形外科・理学療法士の情熱

2021年10月に松本市笹部に開院した百瀬整形外科スポーツクリニック。経験豊富なスタッフや充実した設備で、ケガの治療や回復に取り組む人たちをサポートしている。敷地内には全天候型人工芝フィールドを整備。地域の人たちがスポーツに取り組む活動にも力を入れる。ケガからの復帰に向けて欠かせない存在が、リハビリテーションを担当する理学療法士だ。開院当初から活動する2人の足跡や思いを紹介する。
取材:大枝 令
“第二の故郷”松本に根を張って
山室慎太郎さん
理学療法士としての歩みは16年目を迎えた。信州大学医学部附属病院(松本市)では急性期を含む様々な疾患に対応。丸の内病院(同)に移ってからは整形外科疾患を中心に取り組み、ここでスポーツ選手を対象としたリハビリに当たるようになった。「アスリートは時間を大切にする。大会という目標に向けて一日でも早く――という思いに対して、結果がシビアに求められる」と強調する。

1984年、東京都出身。理学療法士を目指した学生時代の実習先が信大病院だったため、そのまま信州の地で働く道を選んだ。転機は2013年。当時サッカーJ2の松本山雅FCでプレーしていた野澤洋輔選手(現J2アルビレックス新潟社長)のリハビリを担当したことだった。
中心選手の一人として活躍していた野澤選手だったが、6月に腰椎椎間板ヘルニアの手術を受けて長期離脱を余儀なくされた。自身もサッカー経験があった山室さんは志願して野澤選手を担当。「選手の気持ちを理解しながら、医療面では冷静な判断をして寄り添っていく」ことを重視した。

2014年シーズンは、チームが初のJ1昇格に向けて快進撃を続ける一方で、ピッチに立てない葛藤を抱える野澤選手の体と心に耳を傾ける姿勢を貫いた。
その後に野澤選手は、チームがJ1昇格を決めた2014年の最終戦で公式戦復帰。先発フル出場を果たした。1年半に及ぶ長く厳しいリハビリを経て野澤選手がホームスタジアムのピッチに立つシーンを目の当たりにして「もう復帰できないのではないかというところから(復帰を)実現できた。その場面を見られたからスポーツに関わっていきたいと思うようになった」と感慨を込めて振り返る。

2021年に開院した百瀬整形外科スポーツクリニックにスタートメンバーとして参加。リハビリテーション科は現在、16人のスタッフが一般の患者やアスリートのリハビリを担っており、「人員的にも設備面でも充実している。最新の情報や機器に触れる機会もあり、スポーツやリハビリに対して情熱を持っているスタッフが多い」と力を込める。

積極的な対外活動も推奨されているため「外に出て経験が積める環境もある」。知識や技術のブラッシュアップを続けながら一人一人の患者と丁寧に向き合う日々を重ねる。

この先に向けて「クリニックのリハビリテーション科の価値を上げたい」と展望する。どうやって価値を高めていくのか――。「外部に出て地域に貢献したり、学術的な成果を国内外に発信したり。いろいろな方法がある」と思考を巡らせている。実際に学会発表や、海外理学療法学会の見学対応など、活動は多岐にわたる。

松本市に根を下ろして長い年月が過ぎた。「地域の一体感を感じる」と話す新たな“地元”では、家族と一緒に自転車に乗ったり、犬の散歩に出かけたりとアクティブな日常を楽しんでいる。

その一方で、スポーツに向ける眼差しは熱い。「自分の力をスポーツに還元したい」。地域の文化をも変えてしまうような爆発力を秘めるスポーツの魅力を知っているからこそ、日々の仕事と向き合う姿勢にも自然と力がこもる。

子どもたちに“予防”の眼差しを
髙橋勁士さん
松商学園高サッカー部出身の髙橋勁士さんは、ケガを繰り返して満足に練習できなかった学生時代の経験が自身を理学療法士の道に進ませた。
「中学生や高校生の当時、ケガについて詳しい大人が身近にいればいいなと思っていた。その時にお世話になったのが理学療法士。将来的にスポーツに関わる仕事がしたい」。今度は自分がスポーツをする人たちをサポートする側へ回ることを決めた。

小諸市生まれ。地元に近い雨宮病院(佐久市)に勤務して経験を積みながら、週末のたびに松本市に通って母校の松商学園高校サッカー部でトレーナーとして後輩たちを支えてきた。

同校での指導に本腰を入れるため松本市で勤務できる環境を模索する中で、丸の内病院(松本市)で整形外科科長・スポーツ医学センター長として実績を残していた百瀬能成さん(百瀬整形外科スポーツクリニック院長)が独立開院する情報を知人経由で聞き、2021年の開院メンバーとして同クリニックに移った。

当たり前だが、理学療法士が向き合う対象は“モノ”ではなく“ヒト”だ。けがからの回復や復帰に向けて努力する人たちに対して「いつも同じことをしているわけではない。 全く違うことをやっている」。それは難しさであると同時に「楽しさ」と感じながら仕事に取り組んでいる。

「他のところで良くならなかった人が、うちのクリニックに来て良くなる光景を見てきた。ドクターストップするのではなく、スポーツをやらせてあげたいという百瀬先生の方針をスタッフみんなでフォローしていく」
「特に学生は(時間的な)リミットが決まっている。痛みが出ないように工夫して治療やリハビリに当たって、その子がプレーできた時は本当に良かったなと感じる」

2025年シーズンまでJ3松本山雅FCでプレーした馬渡和彰選手のリハビリを担当した経験が大きな財産になった。2024年シーズンの終盤に両膝を手術。J1浦和レッズなどで活躍したトップアスリートに対して、自身を含む3人のスタッフでリハビリに当たり、馬渡選手とも話し合いを重ねながら復帰までのプロセスを丁寧に描いた。
馬渡選手の感覚に耳を傾け、患部の状態を全員で共有する。細かなレベルで要求される一方で、スタッフからの提案をポジティブに吸収してくれる姿勢は選手とスタッフによる共同作業の手助けになった。

何度も治療方針の修正を重ねながらリハビリを続け、馬渡選手は2025年6月に公式戦復帰。「(状態の)波はあったけれど復帰までいくことができた。プロの考え方を知ったり、競技レベルが高い選手に対してスタッフがどうするべきか考えたり。その積み上げを通して、僕たちスタッフが(馬渡選手が)チームに戻るところまでのパスはできた。その経験は大きかった」と噛み締める。

ケガに苦しんだ自身の経験から、ゴールデンエイジと呼ばれるジュニア世代に向ける眼差しは熱い。
「高校生になって体の使い方を教えるのでは遅い。小中学生のうちから、ケガをしないために体をどう使うか、何が必要かを指導することが大事。ケガをしてからクリニックに来るのではなくて、予防として体の動かし方を落とし込んでいけたらと考えている」
実際に学校法人池田学園ささべ認定こども園の年長を対象としたトレーニング指導を開催するなど、行動にも移している。

松本山雅という大きな存在を中心に、松本市には意欲的にスポーツに取り組む文化が根付いてきている――と実感しているという。理学療法士となって10年目。「競技レベルに関係なく、スポーツをする人が痛みなく安全に楽しく続けてもらいたい。少しでも力になれるようにやっていかなければいけないと思うし、もっと頑張りたいという気持ちが強い」と前を向いている。

百瀬整形外科スポーツクリニック
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