かつて松本山雅と階段を登った闘将・柴田峡 リスタートの一歩目を福井から

隠し切れない情熱と闘志――。かつて松本山雅FCで監督やコーチ、編成部長などを歴任し、クラブと地域が一丸となって成長した時代を知る柴田峡氏が今季、北信越リーグ1部の福井ユナイテッドFC監督に就任した。松本山雅も登ってきた階段の一段目から上を見上げるクラブで何を成し遂げようとしているのか。FCマツセロナとのリーグ戦のため松本市を訪れた柴田監督に思いを聞いた。
編集:大枝 令
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厚い壁を打ち破るために
若いチームを率いて挑む新たな道
2026年4月12日、松本大学松商学園総合グラウンド。
北信越リーグ1部第2節のFCマツセロナ-福井ユナイテッドFC戦は両チームとも決定機を生かし切れずにいたが、スコアレスで迎えた78分に試合が動いた。福井は複数の選手が連動して右サイドのスペースを突破。24歳のMF廣岡睦樹が折り返したボールを26歳のMF鬼京大翔が右足で押し込み、待望の先制ゴールを挙げた。

それまで静かに戦況を見守る時間が長かった柴田監督だったが、残りの時間はテクニカルエリアの最前線に立って選手を鼓舞。ホームで負けられないマツセロナの反撃を跳ね返してリードを守り切り、開幕2連勝を飾った。
「経験の少ない若いチーム。硬さもあって内容はまだまだだけれど、勝ちながら課題と向き合っていくことが大事だから」

国内5部に相当する北信越リーグ1部からJリーグ入りを目指す上で、最初のステップはJFL昇格だ。
その権利が懸かる全国地域チャンピオンズリーグへの切符を手にするためには、昨季までと同じレギュレーションであれば、8チームで競うリーグ戦で優勝するか、5連戦という過酷な日程が組まれる全国社会人選手権を勝ち抜くしかない。
リーグ戦は全14試合の短期決戦。開幕戦に続く1-0での辛勝だったとはいえ、若いチームを勝ちながら伸ばしていくためには上々のスタートを切ったと言える。
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松本で味わった栄光と挫折
無言で去った後悔は今もなお
FC東京や東京ヴェルディなどで育成年代の指導に長く携わった柴田監督が、“松本山雅の人間”になったのは11年。JFLで2年目を迎えるトップチームのコーチに招かれ、そのシーズンにJ2昇格を果たした。
個性的な選手たちと絶妙な距離感で接し、巧みなアプローチで潜在能力とモチベーションを引き出す指導。反町康治氏を新指揮官に迎えた12年以降もコーチを続投し、15年にはJ1の舞台に上り詰めた。

育成年代の指導や強化担当を含め、松本山雅でサッカーに情熱を傾けた期間は10年以上。当時の思いを聞こうと水を向けると、返ってきた言葉は意外にも後悔の念だった。
「何も言葉を残せないまま松本を去ってしまった。お世話になったお礼も、期待に応えられなかった申し訳なさも…。その思いは今でも強い」

20年9月。J2で戦っていた松本山雅は成績低迷を受けて監督を解任し、編成部長としてフロントに回っていた柴田監督を指揮官として現場に戻す決断をした。
守備を再構築することで残るシーズンはV字回復の成績を残すと、翌シーズンも監督を続投。しかし、21年は開幕直後から得点力が上がらず苦しい試合が続き、7試合連続未勝利となった第19節の大宮アルディージャ戦後に解任を通告された。

松本市に自宅を構え、妻や子どもたちと一緒に暮らしていた。松本という地域や松本山雅というクラブは、生計を成り立たせるための場所や勤務先ではなく、柴田監督の人生そのものと言っても過言でない存在になっていた。
新天地でも勝利と熱狂を求める
テーマは「感情を揺さぶる」こと
22年からの3年間はJFLのラインメール青森で監督を務め、25年は国内外で育成年代の指導に当たった。その年の年末には60歳の誕生日を迎え、指導者としての今後に思いを巡らせる中、東京学芸大学の後輩でもある福井の服部順一社長から声が掛かった。
かつて松本山雅やAC長野パルセイロと北信越リーグ1部でしのぎを削った「サウルコス福井」というクラブがあった。サウルコスの運営母体解散を受けて19年にクラブを引き継いだのが福井ユナイテッドFCだ。
松本山雅やAC長野、ツエーゲン金沢といったライバルが次々とJFLに昇格してリーグを抜ける中、12年以降の14年間で11度もリーグ優勝しながら、JFL昇格の厚い壁に跳ね返され続けている。

「自分が呼ばれた理由は、もちろん結果を出すこともあるけれど、松本や青森での経験が背景にあると思っている。クラブと地域を繋げ、サッカーを通じて地域を盛り上げていくこと。今の松本にはJ1で戦っていた当時のような熱狂はないかもしれないけれど、クラブが地域に欠かせない存在として根付いていることは間違いない。福井ユナイテッドというクラブも福井の街も、そうなる大きな可能性を秘めていると思う」と力を込める。
クラブは昨季限りで多くの主力を放出。柴田監督を迎え、若い選手を育てながら強化を図る方針に舵を切った。

2月の始動日に全体練習に参加した選手は、わずか8人。現在も所属20選手という小所帯で、マツセロナ戦もベンチスタートを含め16人で臨む苦しい台所事情が続く。
選手の大半が競技と仕事を両立。決まった練習場もクラブハウスもない。
ここまで読んで「何か」に気付いた読者は、古株の松本山雅サポーターかもしれない。
そう。柴田監督が見てきた、かつての松本山雅と似ている。

「福井に来て、松本に初めて来た時の感じと似ているな――と思った。まだ人数は少ないけれど、練習見学に来るファンもいて温かな雰囲気がある。(バスケットボールB2の)福井ブローウィンズと同日開催したホームゲームには1300人以上のサポーターが来てくれて、バスケットボールには5000人近い観客が入った。それは、地域がプロスポーツを求めている証拠。ポテンシャルはある」
松本山雅を去ってから、松本の地に足を踏み入れたのはマツセロナ戦を含めても2度だけ。かつて人生を捧げながら遠い存在になっていた地域が、再びお互いの息遣いを感じることができる存在として近づくことになる。

マツセロナ戦を終えたその足でサンプロ アルウィンを訪れ、スタンドから松本山雅の試合を観戦した。対戦相手は、くしくも柴田監督が松本山雅で指揮を執った最後の相手と同じRB大宮アルディージャ。1万人近いサポーターが快晴のスタジアムを埋め、躍動する選手たちが4得点のゴールラッシュで快勝した試合を目の当たりにして、内に秘めた情熱と闘志が燃え上がらないはずがない。
「松本のことを忘れた日はない。一番良い時代を過ごさせてもらったと思っている」
そう言って大きな目を見開き、言葉を続ける。
「福井の若い選手たちは目の色を変えて真剣にサッカーに取り組んでいる。地域の皆さんも巻き込みながら、もっともっと盛り上げていきたい。サッカーを通して『感情を揺さぶる』ことができるようにね」














