石﨑信弘、名波浩、反町康治―― 歴代監督を“緑化”してきた松本山雅の引力

松本山雅FCを語る時、えてしてサポーターの存在がクローズアップされる。2009年までの北信越リーグ時代から質と量で突出し、2度のJ1時代も含めて一定のインパクトを与えてきたのは確か。その熱量は歴代の監督にも伝わっており、日々の仕事に向かうモチベーションとなってきた。今季就任した石﨑信弘監督も「山雅が好きになっちゃった」と告白。今回は海千山千の指揮官を無自覚のうちに籠絡してきた、松本山雅の“引力”を解きほぐしていく。

文:大枝 令

「山雅が好きになっちゃった」
石﨑信弘監督を”緑化”させた街

気が付けば、好きになっている。
生活に溶けていく。

「住めば都」。長野県内それぞれの地に魅力はあるだろうが、こと松本山雅の引力はただならぬものがある。2026年5月22日。囲み取材が終わりに差し掛かった時、石﨑信弘監督もまた、「松本山雅が好きになっちゃった」と白い歯を見せた。

なぜ、そう感じたのか――。それを掘り下げずして記事にしても意味は薄い。J2・J3百年構想リーグ地域リーグラウンド最終節・福島ユナイテッドFC戦の翌日に改めて呼び止め、その真意を聞いた。

するとやはり、まずはサポーターの存在を挙げた。

「ファンサービスがない日でも、練習にたくさんの人が来てくれる。自分たちの子どもか孫のようなイメージで見てくれているのかもしれない。ヨーロッパみたいな感じ」

「わし、ヨーロッパよく知らんのじゃけど」と笑いでオチをつけるあたりが実に石﨑監督らしいが、いずれにせよ日々のトレーニングから見学に来るサポーターの数にインパクトがあったのだという。

もちろんホームスタジアムのサンプロ アルウィンでも、ただならぬ熱量を感じ取っている。

今季は地域リーグラウンドで9試合のホームゲームが行われ、松本山雅の平均入場者数は10,363人。所属したEAST-BグループではRB大宮アルディージャを僅差でかわしてトップとなり、J2・J3計40クラブの中でもアルビレックス新潟、ベガルタ仙台(ともにJ2)に次いで3位だった。

「毎試合ホームでたくさんのサポーターに応援に来ていただいて、本当に感謝している」と常に口にしながら、ホームでなかなか白星を挙げられていないことに触れて「申し訳ない」と繰り返す。口ぶりからしても、心底心苦しそうにしていることが伝わる。

松本の街が帯びるフットボールの熱気だけでなく、街そのもののたたずまいも石﨑監督の琴線に触れたようだ。

「お城(松本城)があるし、街の雰囲気がいい」

石﨑監督は、用事を済ませがてらの散策を好むという。「今まで(のクラブで)もそうしていたけど、歩くのが好き。車で走っているだけじゃわからないことも多いから」。蔵造りの建物が並ぶ一角、水路が通る小径。城下町の風情を色濃く残す街並みに身を浸した。

そして、歴史好きでもある。松本に拠点を移した直後の4月上旬に松本城を来訪。その際に来歴を学んだといい、明治維新後の廃城令に伴って解体の危機に瀕していたことなども「履修済み」だった。

さらに、雑談交じりに「(信濃松本藩の初代藩主とされる)石川数正はなんで徳川家康から豊臣秀吉に寝返ったんじゃろうね?」と報道陣に問うてもきた。

Jリーグ歴代最多指揮数を持つ石﨑監督は、かくして“緑化”された。

「山雅はこの街の光なんだね」
歴代の指揮官もほだされた魅力

しかしこれは、何も石﨑監督だけに限った話ではない。歴代指揮官は基本的にみな、この地のただならぬ熱気にあてられる。

例えば2021年途中〜22年に指揮した名波浩監督。J3降格が決まった後の囲み取材で、不意にしみじみと述懐したことがある。

「松本山雅って、この街の光なんだね」

その年の6月のシーズン途中に就任してから5カ月。松本に住み暮らし、さまざまな生活者に触れながら認識を練り上げていった末の到達点だった。

実際にそれは、サッカーの表現にも直結した。就任したシーズンは可変システムを導入するなどテクニカルなスタイルの積み上げを図っていたが、J3降格初年度となった翌22年は一転。FWルカオ(J1ファジアーノ岡山)とFW横山歩夢(ベルギー・KRCゲンク)の個を生かしながら、守備や球際のバトルに振り切った。

最終的にJ2昇格を逃したシーズン。しかし、この街が松本山雅に求めているものは何か――という観点に立ち、「松本山雅の指揮官・名波浩」としてのアンサーだったことは疑いようがない。実際に離任して4年が経った今季もアウェイ藤枝MYFC戦を観戦に来るなど、今もなお松本山雅に思いを寄せている。

名波氏だけでない。コーチや編成部長などとして足掛け10年関わった柴田峡氏(福井ユナイテッドFC監督)は、当時から「サポーターの皆さんに顔向けできる試合をしないといけない」と強調し続けていただけでなく、常にアカデミー強化への思いをたぎらせていた。

J3で15位と低迷した昨季の指揮官・早川知伸氏(レノファ山口FCコーチ)も、コロナ禍の2020年に半年で解任となった布啓一郎氏も、少なからず思いは寄せていた。チャント(応援歌)に歌われるような「俺の誇り」である松本山雅の引力を体感し、仕事に心血を注いできた。

そして最後に、反町康治氏(清水エスパルスGM)。J2参入初年度の2012年に就任し、2度のJ1昇格に導いた人物だ。在任の8年間で、直接的に「松本愛」を口にすることが多かったわけではない。それでも水路が通る城下町の空気を気に入り、今でもあちこちの店舗にサイン色紙が飾られている。

監督が街を変えるのではない。
まず街が、監督を変えてきた。
そこから相互作用が生まれてきたのが、松本山雅の系譜だろう。

松本山雅は、誰の手によって歩んできたのか――。問いに対する答えはいつも、ピッチの外から差し戻されてくる。引力の正体は、おそらくこの街そのものにある。


たくさんの方に
「いいね」されている記事です!
クリックでいいねを送れます

LINE友だち登録で
新着記事をいち早くチェック!

会員登録して
お気に入りチームをもっと見やすく

人気記事

RANKING

週間アクセス数

月間アクセス数