引退を決めた“フロアジェネラル”生原秀将 充実感と、一抹の未練を胸に

2022-26シーズンの4年間を信州ブレイブウォリアーズでプレーし、今季限りでの現役引退を表明した生原秀将。攻守ともに身体を張るプレーでチームをけん引してきただけでなく、フロアジェネラルとしてチームルールを遂行しながら集団を束ねてきた。故郷・徳島でバスケットボールを始めてから26年。長野県での最終日に取材に応じ、信州に在籍した4年間を振り返ってもらった。

文:芋川 史貴

ケガを恐れずエナジーを注入
生原が引退を決意した理由

「今はいろんな人へ挨拶しに行っている。そこでいろんな人たちが悲しんでくれたり、いろんな声をかけてくれるから、ちょっとずつ引退する実感は湧いている」

2026年6月20日、信州ブレイブウォリアーズから引退のリリースが発表された生原。取材に応じる生原の表情には、清々しさと、少し寂しさも混ざっているようにも見えた。

2017-18シーズンにリンク栃木ブレックス(現宇都宮ブレックス)で出会った勝久マイケル氏から、熱烈なラブコールを受けて信州に移籍してきたのは2022-23シーズン。

そこから4年間は脳振とうや相次ぐケガにも悩まされた。しかしコートに立てばハードなディフェンスと、クレバーなゲームコントロールで信州をけん引。信州で過ごした4年間は生原にとって、どのような期間だったのだろうか。

「マイクさん(勝久マイケル・前ヘッドコーチ)のバスケットの緻密さや、IQが尊敬できる部分だった。チームの決まりごとが多くて、自分らしさとの両立は難しい部分もあったけれど、それ以上にバスケットの知識が深まった」

「人生を左右する脳振とうも経験したし、筋肉系のケガもした。そういう意味では、バスケットを俯瞰して見る時間をしっかりと持てた4年間だった。『自分にとってバスケットはどういう存在か』を考えたり、プレーヤーが気づかなくていい営業体制とかにも目を向けたりできた」

2024-25シーズン。10月19日の青森ワッツ戦で622日ぶりにホームコートへ復帰し、プレーオフ(PO)期間も3位入賞に貢献した。今季もレギュラーシーズンで活躍を見せていたものの、PO期間中は左ヒラメ筋損傷でベンチを外れることとなった。

「4月上旬の横浜エクセレンス戦の2戦目で左ふくらはぎを痛めて、病院へ行ったら肉離れだった。2週間で戻れるという診断結果で、ホーム最終戦の愛媛(オレンジバイキングス)戦で再発した」

「全治がファイナルでもギリギリ間に合わないぐらい。結構メンタルに来て、何回もドクターと話す中で、『復帰が難しい』となった時に、プレーヤーとして渇望する部分が正直少し切れてしまった」

試合には出られないとはいえ、ベンチから若手ポイントガードの土家大輝や小栗瑛哉らにアドバイスを送るなど、最後まで選手たちの成長を促した。そんな中、PO期間の途中に引退を決意。早い段階でチームにも伝えていたという。

「キャリアを続けながら自分のやりたいことを探していく選択肢はあったけれど、脳振とうとかの危険性の方が自分の中では大きいと感じた。今やめることが、自分にとって最善の選択だと感じた」

「歴史」「自然」を愛する生原
信州での4年間を十分に満喫

生原は入団当初から、歴史的な観光地を中心に出かけることが好きだと話していた。長野県での生活は楽しめたのだろうか。

「海の街で育ったから、山がたくさんある街に住んだことがなかった。山との距離感とか、春夏秋冬の見え方の違いを本や映画とかではよく言葉としては聞いていたけれど、実際に目で見て『こんなに変わるんだ』と(驚いた)」

「例えば紅葉の時期は、公園に生えている数本の木を見て『キレイだね』と言っていたのが、長野の場合は山一面が紅葉する。新緑の時期もそうだけれど生命のパワーをとても感じたし、奥さんとも『いいよね』と話していた」

自然だけでなく、いろんな温泉や蕎麦も堪能した――と生原は笑顔で語る。

「僕は十割蕎麦が好き。それがあるお店を探したり、十割がなくても蕎麦湯が美味しいとか、お店の雰囲気がいいなとか。味だけじゃなくて雰囲気やお客さんの層とかを見て選んでいた。温泉も泉質は大事だけど、温泉自体のローカルな雰囲気が好きだから、そんな場所に行っていた」

信州の文化だけでなく、ブースターにもエネルギーをもらったという。

「温かい印象で熱量もある。何よりどんな成績でも温かいし、ファンの方々が作り上げているカルチャーの部分でもあると思うので、そこはすごく素敵だと思う」

セカンドキャリアは模索中
「バスケに対しては未練がある」

注目されるのは次なるキャリア。コーチとして次のステージに進むのか、バスケ界の第一線から退くのか。

「『次は何をしたいか』というのは、自分の性格的にすぐに決められないとわかっていた。あと数年続けても同じ形になることは、ルーキーの時からずっと思っていた。だから今は会いたい人にあって、会話をして、見たいものを見て、自分の興味や問題意識を広げていくことがすごく楽しい」

「自分が競技者として『もっとこうした方が良かった』とか、困ったこととかはずっと書き留めていた。タイミングもあるけれど、(他の選手たちに対して)手助けができたらとも思っている」

バスケから離れることも少しは考えた――という生原。それでも、身体はまだまだ動くし、頭もスキルもこれから冴えてくる年齢。競技者やバスケットボールに対しても未練が残っていることを生原は素直に明かした。

「もうちょっとやり切った感があってもいいのかもしれない。そこが多少残っているから、現場なのか間接的なのかはわからないけれど、関わりたいとは思っている」

もともと生原は筑波大学4年次、一般企業への就職も考えていた。そこからキャプテンとしてインカレ(全日本大学バスケットボール選手権)制覇を経験し、声をかけてもらったことで、プロに進むことを決意した。

「だけど3年〜5年でやめるプランでいた。1年目のチーム選びも3年目の移籍の時もそう考えていたので、まさか10年以上も続けるとは思っていなかった」

3年目にはコロナ禍の影響でリーグが中断し、5年目にはケガが重なった。「この終わり方じゃ終われない」と、キャリアを歩み続けた。

「みんなは『若いのにまだやれる』と言ってくれるけれど、自分としては最初の頃を考えると倍以上のキャリアを歩めた。まだ身体は動くけれど、十分やれたと思う」

6歳でバスケに出合い、32歳までトップレベルでバスケットボールに取り組んできた。故郷・徳島から遠く離れた信州の地でラストダンスを迎えた生原秀将。一抹の未練を次なるエネルギーに変えながら、針路を見定めていく。


Bリーグ チーム紹介ページ
https://www.bleague.jp/club_detail/?TeamID=716&tab=1
クラブ公式サイト
https://www.b-warriors.net/

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