9.7 松本から始まる物語 SBC平山未夢アナがJ実況デビュー(後編)

【実況:平山未夢】
J3第27節・松本山雅FC-大宮アルディージャのDAZN予告画面に、その名前が記されている。信越放送(SBC)の女性アナウンサー・平山未夢さんだ。長野県内民放4局のうち最も歴史の長いSBCにとっても、女性がJリーグ実況を担当するのは初めて。どんな道のりを経て実現の時を迎えようとしているのか。SBCの全面協力を得て、デビューに至るまでの秘話を紹介する。

文:大枝 令

前編はこちら

学生時代の挫折を経てSBC入社
「主役は自分じゃなくていい」

そもそも、サッカーが好きなわけでもなかった。
むしろ、避けてさえいた。
というのも、サッカーに関しては家庭内で疎外感を感じていたからだ。

父は長崎県出身。島原商高時代に全国高校サッカー選手権を制した経験を持ち、高校サッカー界の名将・小嶺忠敏監督にも師事した。大学卒業後は愛知県に移り、社会人チームでプレー。そんな父は当初、長女にサッカーをやらせたかったという。

しかし本人はバレエの道へ。並行して幼少期からフォトモデルに採用され、大手百貨店、携帯電話会社などのポスター類を飾る。西尾高時代は大手系列の芸能事務所に所属していた。

幼少期は名古屋グランパスの試合を家族で観戦することも多かったが、長じて足は遠のいた。そして弟もサッカー一筋。実家のテレビではいつもサッカーの試合映像が流れていた。「常にサッカーが話題の中心。でも自分はそこに入れないから、サッカーの話題はむしろ嫌だった」と振り返る。

高校3年生の最後。大規模なオーディションで最終選考に残ったものの、落選した。「小さい頃から思い描いていた夢が消えてしまった。限界まで膨らんだ風船が弾けたような感じだった」。早稲田大1年の時はテレビをつけられなかったし、オーディション会場近くのエリアには足が向かなかった。

情熱の行き場を探すように、競技ダンスに打ち込む。就職活動にも力を入れた。「テレビをつけたら顔なじみが出ているのが悔しかったし、違う分野で見返したいと思っていたから、早く次の目標を見つけるのに必死だった」。その甲斐あって、大手外資系の戦略コンサルタント会社から内定をもらっていた。

しかしその後、SBCアナウンサー職の求人を発見。立ち止まって、自分の内なる声に耳を傾けた。「(他人と比べて)負けたくないとか、トップに行ってやるとかではなくて、素直に自分のやりたいことはなんだろう」――。自問自答して応募すると、内定を得た。「大学卒業の2カ月前。大きな決断だった」と振り返る。

1年目から多種多様な仕事をこなす。

「自分は別に目立たなくていいし、対談やインタビューで主役となる相手の話を引き出すのが楽しい。そう考えると実況も、主役は選手でありチーム。しっくり来た」。自分なりのリズムや声色などを工夫し、声だけで伝えることに魅力を感じたという。

広告

協賛企業様募集中
掲載のお問い合わせはこちら

J実況に向けて“サッカー漬け”
八戸に遠征して得られたものは

ただ、Jリーグ実況が決まるのはまだ先。まずは「現象の言語化」「サッカー知識」の2軸に分けてスキルアップを図った。

例えば松本山雅のMF米原秀亮から、右サイドの高い位置にいるFW安藤翼にサイドチェンジが通ったとする。

「その描写一つでも『米原から安藤にパスが出た』とも言えるし、『米原からのロングフィード』『サイドチェンジ』とも言える。『右サイドの安藤にボールを出した』『大きく展開した』もある。相手の守備の状況も入れるともっと多くて、一つの事象に対して表現は10種類も20種類もある。まずボキャブラリーを増して言葉を磨く部分として取り組んできた」

アナウンサーの「手本」を見つけ、その実況を寝ても覚めても聴き続ける。表現の引き出しを増やしつつ、実況のリズムを体に染み込ませる。さらに自分の声でボイスレコーダーに録音し、文字起こししてペーパーに集約。わずかでも空き時間を見つけたら、それを記憶に定着させていく。

もう一つはサッカーを俯瞰した際の見方。「11対11のボールゲーム」という視点を持った時、ピッチサイドとは全く違う光景に気付いた。

4バックでセンターバック2人を配置した時、左利きの常田克人が左で右利きの宮部大己が右である理由は何か。試合途中で4-1-2-3から4-4-2に変更した時、そのメリットとデメリットは何か。もちろんゲーム展開や相手によって理由は千差万別。一概には言えない。

――フットボールの迷宮が広がっていた。

「今まではサッカーを見ていたんじゃなくて、山雅を見ていたんだと分かった」

ひたすら試合視聴の場数をこなし、戦術的な観点からの解像度を上げていく。選手個々のパフォーマンスやチームとしての内容など、受けた印象を手書きでメモ。それを選手・監督のコメントやマッチレポートなどで「答え合わせ」していく。ホームゲームの際には取材エリアに顔を出し、疑問点をぶつける。国内外のサッカーに精通する本間ディレクターのレクチャーも大きかった。

「例えば(J3第23節)福島(ユナイテッドFC)戦だったら、相手の中盤3枚が強いから(山雅は)前向きでボールを持たせたくないし、通させたくないから中を閉めていたと思う。逆にサイドが空いて、森(晃太)選手とかがそこに走り込んできていた」

しかし、いくらスキルアップを図っても、「自信」に変わることはない。そもそも、Jリーグの実況を担当することが決定したわけでもない。SBCは1951年創立で、県内最古参の民放テレビ局。前例がない取り組みだからこそ、慎重に議論が重ねられるのも当然の成り行きだった。

7月初旬。不安に駆られて突拍子もない行動に出る。オフを使って北陸新幹線に飛び乗り、大宮経由で本州最北端の地へ。ヴァンラーレ八戸との試合を自費で現地観戦したのだ。試合は石﨑信弘監督率いる八戸に0-1で苦杯。勝ち点はゼロだったが、個人としては得るものがあった。

「八戸に自費で行ったらものすごく時間もお金もかかった。そんなアウェイなのにたくさんのサポーターの皆さんが来て後押ししていて、その熱量が改めてすごいと思った」

インタビュー担当として初めてサンプロ アルウィンのピッチに立ったあの日の感動。サポーターに圧倒された原点を、克明に思い出した。

好きだから続く努力の熱量
周囲に支えられて いざ初陣へ

ほどなく、Jリーグの実況を担当することが決定。その珍しさから当然、耳目が集まる。

だからこそ――と、平山アナは強調する。

「注目していただけるのはありがたいけれど、逆に心苦しい気持ち。今まで実況を担当してきた先輩がたも、本当に本当に大変な思いをして準備をしてきたことを、自分がやってみて初めて分かった。今までは『大変ですねー』なんて気軽に言っていたけれど、全然その大変さを分かっていなかった」

裏を返せばこのように、周囲への感謝とリスペクトがあるからこそ、物事は動いた。情報センター・アナウンス部の中澤佳子部長は振り返る。

「『実況をやりたいです』と聞いた時に『そうだね』とは言ったけれども、本当にこんな日が来るとは思っていなかった。周囲の誰か一人でも欠けていれば難しかったと思うし、彼女がこれだけ努力しなければこうはならなかったと思う。積み重ねて、積み重ねて、積み重ねて、ここまで来た。パイオニアになってほしい」

アナウンス部のフロアでは、通路を挟んで平山アナの背後に中澤部長のデスクがある。自席で毎日実況のトレーニングをしているのを、中澤部長は耳にしてきた。

「朝早くから来て受験生のように練習をしている。聴いていると、低いところから唸るような太い声が出せるようになってきた。訓練すればこれだけできる。最初は違和感があるかもしれないけれど、それはおそらく慣れの問題。聴いていると当たり前になると思う」

同じように、キックオフイベントの司会などでタッグを組む松本山雅FCのOB片山真人さんも、平山アナの陰の努力を見てきた。

「勉強熱心で、フォーメーションの変更とかサッカーの戦術をよく聞いてくる。サッカーそのものを一生懸命理解しようとしているのが伝わるし、それをものすごくアピールしてくるわけでもない」

「本当は言いたくないけどね」と釘を刺すのを忘れないあたり、信頼を勝ち得ていることがかえって浮き彫りになる。

片山真人さんと組んでのイベント司会 (©松本山雅FC)

ただ、Jリーグ公式映像の実況は、地方局の地上波放送とは異なる。求められるのはホームチームに寄りすぎない、フラットなアナウンス。しかし平山アナは訓練のために数多くの試合を視聴するうち、他チームも継続的に追うようになってきた。J3第25節のAC長野パルセイロ-大宮アルディージャは、長野Uスタジアムで実践トレーニング。大宮に関する事前準備も整っている。

「自分にとってのお客さんは誰なのか――は常に、この仕事をしていて一番大切にしている。この場合はDAZNで試合を観てくれる両チームのサポーター。むしろアウェイの大宮の方が現地に来られない人も多いかもしれない」と話す。もちろん、インプットしている情報が多いのはホームの松本山雅。その中で出力をどれだけフラットにできるか、腕の見せどころでもある。

画面の向こうにいる、数多くの人のために。
たとえ顔は見えなくても、届けるのがプロの仕事だ。

スタジアムの雰囲気に衝撃を受けた。
伝えるべきサポーターに敬意を払った。
感じて、学んで、サッカーを好きになった。
少しずつ理解したら、もっと好きになった。
熱意が周囲を巻き込み、新たな扉の鍵が開いた。

「社内のかたも社外のかたも、それぞれの立場でそれぞれの腹のくくり方をしてくださった結果。周りの支えあっての自分だとすごく感じるようになったし、だからこそいい実況をして返したい。そしてやっぱり一番は、届けるべきサポーターの皆さんが楽しんでもらえる実況をしたい」

9月7日、サンプロ アルウィン。
さまざまな思いを乗せて、平山未夢がスタートラインに立つ。

LINE友だち登録で
新着記事をいち早くチェック!

会員登録して
お気に入りチームをもっと見やすく