9.7 松本から始まる物語 SBC平山未夢アナがJ実況デビュー(前編)
【実況:平山未夢】
J3第27節・松本山雅FC-大宮アルディージャのDAZN予告画面に、その名前が記されている。信越放送(SBC)の女性アナウンサー・平山未夢さんだ。長野県内民放4局のうち最も歴史の長いSBCにとっても、女性がJリーグ実況を担当するのは初めて。どんな道のりを経て実現の時を迎えようとしているのか。SBCの全面協力を得て、デビューに至るまでの秘話を紹介する。
文:大枝 令
アルウィンの“特等席”で感じた熱
サポーターに恥じない仕事を
それはおそらく、運命だった。
2022年8月27日。
入社1年目の平山アナは、初めて中継でインタビューを担当した。J3第22節・松本山雅FC-カマタマーレ讃岐戦。試合は高卒2年目のFW横山歩夢(現バーミンガム・シティ)のゴールで松本山雅が白星を挙げた。しかし勝利と同等かそれ以上に、この試合には意義があった。
松本のホーム・サンプロ アルウィンに、実に994日ぶりとなる声出し応援が戻ってきたのだ。部分的ではあったものの、松本を松本たらしめる“武器”をようやく取り戻した日。その声をピッチレベルで聞いた平山アナは、一瞬で心を鷲づかみにされた。
「心臓にズシンズシンと響く山雅サポーターの声を初めて聞いた。なぜだかはわからないけど感動して震えて、涙が出そうになった」
圧倒されると同時に、もう一つの感情が湧き起こった。「このサポーターの皆さんに対して、中途半端な仕事は絶対にできない」。そもそもスポーツ中継に関する社内研修で、先輩の久野大地アナウンサーからは「どれだけ熱心なサポーターでも入れない場所に入って仕事をさせてもらう。それを忘れてはいけない」と薫陶を受けていた。背筋が伸びる思いがした。
ならば、学ばなければいけない。
松本山雅のことを。
クラブ公式サイトの選手・監督コメントはもちろん、サブスクリプション「ヤマガプレミアム」も熟読。選手のSNSからも情報を得るし、エル・ゴラッソなどのサッカー専門メディアにも目を通した。「もちろん『知りたい』というのもそうだけど、サポーターと同じ情報を持っておきたい――という思いが強かった」
J3の公式映像中継では、試合後のインタビューが出番。2〜3分のために90分間、第4の審判の近くで黒ビブスを着て立つ。ピッチでの息遣いや表情などを観察。勝利の喜びや敗北の悔しさを近くで感じる。そして、両クラブの「思い」も背中で感じる。
「試合が終盤に近付くにつれて、山雅のスタッフさんがベンチの後ろで1列になって見守っている」。広報や運営の担当者だけでなく、営業もアカデミースタッフもそう。もちろんアウェイチームも同様だ。「そういう方々の姿を見て感じる部分も含めて、2〜3分のインタビューに懸けているつもりだった」という。
それ以外にも実は、ピッチ上での業務がある。
J3の場合はピッチフロアダイレクターと呼ばれる立場を兼務。選手交代や警告・退場、ゴールの時間、アディショナルタイムの時間などを運営からリアルタイムで聞き、中継車にインカムで伝える。その役割も果たしながら、インタビューの質問内容を頭の中で練り上げていく。
社内研修で不在だった1試合を除いて、“デビュー戦”以降のホームゲームはほぼ皆勤。その熱心な仕事ぶりが社内外から評価され、2024年1月にはSBCラジオ中継を兼ねたキックオフイベントで司会を務める。出過ぎず、それでも下調べの成果をさりげなく出しながら、選手からコメントを引き出していく。
泣いて、迷って、飛び出して…
本番直前にたどり着いた境地
そして転機が訪れる。
女子サッカー・WEリーグ地上波中継の実況に白羽の矢が立ったのだ。2024年5月25日、シーズン最終節のAC長野パルセイロ・レディース-ノジマステラ神奈川相模原。しかし当初は、やや後ろ向きだったという。「サッカーは仕事で触れるうちに本当に好きになった。でもサポーターの熱とかを感じられるピッチレベルが好きだったから、そこから離れる実況席に行くのは気が進まなかった」と明かす。
さらにWEリーグは、中継のための映像や数字などのデータ・資料がJリーグに比べると少ない。AC長野のレディースを取材してきた蓄積もない。もちろんスポーツ実況の基礎は研修などで学ぶものの、チーム情報に関してはゼロからのスタートだった。
手探りで準備を進めていくうちに、煮詰まった。強烈な不安に襲われもした。試合2日前の夜、会社のトイレで一人涙を流す。それでも収まらず、本社前の広場に飛び出して泣いた。
「自分が実況をするイメージが全然湧かなかった。不安とか緊張とか、ギリギリで保っていた均衡が最後に崩れた感じ。本当に走り出したかった。長野市から逃げ出したかった」
それでも当日はやってくる。
仕事だ。
もちろん準備はした。
ただ、「自信」とはほど遠いマインドのまま。
しかし長野Uスタジアムに着いて、ピッチの芝生に足を踏み入れて、スイッチが入った。
「あ、できるかも」
それ以降の詳細な記憶は残っていないという。おぼろげながら覚えているのは、入念に準備してきた台本を放り投げたこと。「台本」とは言ってももちろん、筋書きがあるわけではない。「この時間帯でこのような内容を話す」という、大まかなイメージを描いたものだ。
「台本を作っても、結局何が起こるかはわからない。目の前のシーンは0.1秒後には動いているから」。刻一刻と状況が変わるピッチの中を、サポーターにも似た目線で、感じたことを口にしていく。立て板に水のごとく弁舌を振るった。
試合展開にも助けられた。この試合は、チーム最古参6年目となるMF大久保舞の退団が1週間前にリリースされたばかり。出場すれば、AC長野でのラストゲームとなるシチュエーションだった。
そして大久保は0-2の79分に途中出場。86分に1点を返すと、90+2分に自身が値千金の同点ゴールを決めた。GKも攻撃参加した左CKの折り返しに対し、ゴール前の混戦から気迫でねじ込んだのだ。
「実況としてはすごくありがたいシチュエーションだけど、そんなことは台本になんて書いていない。でも、それが逆にすごく楽しかったし、純粋にサッカーが好きなんだなと思った」
「声質」と「意欲」がピタリ合致
SBC史上初の女性サッカー実況へ
周囲の反応も上々。ただ、自身は今後の可能性として存在する「Jリーグ実況」には極めて消極的だった。いちファンとして、視聴者の立場に立った時の自然な判断だったという。
「試合視聴の邪魔をするのは実況の仕事じゃないし、面白い試合をマイナスにさせる仕事をしてはいけない――というのが実況のあるべき姿だと思う。男性のスポーツに女性の実況が入ると、力量がどうであってもまず『声』に違和感が出るはず。その違和感は必ずしも観戦に必要ないから、あえて自分が『やりたい』と手を挙げる必要もない」
しかし、ここから潮目が変わっていく。
情報センター・アナウンス部の中澤佳子部長が明かす。
「男女のアナウンサーそれぞれに求められていたものがあった時から変わり、男女の垣根はなくなった。それでもスポーツ実況は最後まで残った分野で、大きな壁のようなものだったと思う」
なにも自分が、機会均等を叫んで矢面に立ちたいわけではないという。それでも先輩たちから過去の経験談などを聞き、少しずつ捉え方が変わっていく。「自分が新しい扉を開きたい…みたいな思いはないけれど、少しでも『挑戦してみたい』『夢中になれるかも』と感じたことに対して、可能性があるのに自分で閉ざすのは違うのかもしれないと思った」。
そして、もう一つの消極的な要因も消えた。
WEリーグの実況について、社内で各方面から声をかけられる。「スポーツの声でやってたね」「声を作って頑張ってたね」と。ただ、SBCサッカー中継の中心的な役割を担う本間新ディレクターは違う評価だった。
「これ、平山の素(す)でしょ?」
言われてみると、思い当たる節がある。
試合開始から1本目のシュートが放たれた瞬間、「シュート!」と反応する。自然と下から湧き上がるような声。スタッフが詰める中継車の車内が一気に沸く。「いいね平山、これ行けるよ!」。本間ディレクターがさらに乗せてくる。
「シュート!という声をどう出す…とか、そういうトレーニングはしていなかったし、意識もしていなかった」
もしかすると、飾らない本来の姿なのかもしれない。その声色が視聴体験を著しく下げるのでなければ、挑戦したい。もちろん視聴者がJリーグの女性実況に慣れていないから、違和感は拭えないだろう。100人中100人を満足させることも難しい。それでも適性と意欲があるのなら――。
こうして、新しいチャレンジが始まった。
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