白尾秀人(上田西)×大島駿(佐久長聖)「長野県の高校サッカーがたどり着いた新地平」

年末年始に行われた高校サッカーの全国大会で、東信勢が快挙を達成した。高校選手権は上田西、高校女子選手権は佐久長聖がともにベスト8進出。直近5年は初戦で敗退していただけに、その躍進ぶりは目覚ましい。快挙の裏側には何があったのか――。上田西の白尾秀人監督と佐久長聖の大島駿監督に、対談形式で話を聞いた。
取材:田中 紘夢/編集:大枝 令
コンディション調整から采配まで
大会を通して紡いだストーリー
白尾 サッカーはリーグ戦で明確に順位付けされています。上田西は(高円宮杯U-18)長野県リーグ1部で3位に終わりましたけど、全国ではカテゴリーが上のチームに2勝できました。
初戦の2回戦で戦った徳島市立(プリンスリーグ四国2位)は、スタメンに地元の選手は4人だけで、それ以外は関西のチーム出身でした。そんな相手に県内出身の選手を中心に勝って、3回戦は関東の矢板中央(プリンスリーグ関東1部4位)。難しい組み合わせだったのは間違いないです。

PROFILE
白尾 秀人(しらお・ひでひと) 1980年9月30日生まれ、鹿児島県出身。高校2年までは故郷の与論島でサッカーに打ち込んでおり、3年時に国見(長崎)へ転校。故・小嶺忠敏氏の薫陶を受ける。国士舘大卒業後は当時J2のヴァンフォーレ甲府に加入。その後は北信越リーグの松本山雅FCなどに在籍して現役引退。引退後は地球環境、野沢南などの監督を経て2016年から上田西を率いる。17年の全国高校選手権では根本凌(現湘南ベルマーレ)らを擁し、県勢過去最高のベスト4に導いた。7年ぶり出場となった24年も、矢板中央(栃木)などを破って8強に駒を進めた。
戦い方に関して言えば、7年前ほどはロングボールを蹴りませんでした。相手を見ながら判断してパスを繋ぎましたけど、県大会では足をつる選手が続出しましたし、以前と比べても選手たちの身体能力は低かったと思います。
そこから全国までの1カ月で追い込めるはずがないので、いろんな人のサポートを得ながらできる限りの対策をした結果、一人もつらずに走り切ることができました。そこは連戦だからこそできたところはあります。
大島 コンディションづくりのところは本当に徹底していたんですね。そこに関して言えば、僕らは完全にナチュラルでした。
2大会前に初めて全国に出場したときは、宿舎に酸素カプセルを入れたり、ケアルームを改善したりしていました。翌年も加圧マッサージを取り入れたりしましたけど、結局は2大会連続で初戦敗退だったんです。
それも踏まえて、やっぱり日常と同じように持っていったほうがいいんだろうな…と。2大会分の反省を込めて、今回はオールナチュラルで行きました。

PROFILE
大島 駿(おおしま・しゅん) 1990年、横浜市出身。法政二高(東京)でプレーしたものの、度重なるケガに泣いて不完全燃焼の3年間を過ごした。その後は指導者の道を志して流通経済大に進学。「学生トレーナー」としてサッカー部に在籍し、大学院2年時には総理大臣杯で日本一を経験。修士課程卒業後は長野県に渡り、AC長野パルセイロU-18を立ち上げから指導。 関東でジュニアユース年代の監督を経て2017年、新設された佐久長聖女子サッカー部の監督に就任した。 22年から全国高校女子選手権に3年連続出場し、24年は初のベスト8に導いた。
白尾 鍛え方がしっかりしているんでしょうね(笑)。僕も日頃から鍛えていたつもりだったんですけど、大舞台の緊張からなのか…あんなにつる選手を見たのは初めてでした。
大島 緊張は間違いなくありますよね。僕らも初戦で高取国際(奈良)に16-0と大勝しましたけど、そのぶん次の試合はすごく難しかったです。
2回戦の高川学園(山口)戦は硬さがあって、自分たちのサッカーもできなかった。なんとかPK戦で勝ち進みはしましたけど、「全国に何をしに来たんだ」という話はしました。

そこから3回戦の作陽(岡山)戦は自分たちのサッカーで勝てて、創部からの8年間が集約されたようなゲームだったと思います。
準々決勝は王者の藤枝順心(静岡)に大敗しましたけど、大会を通じてストーリーがありました。それを経験できたのは自分にとっても価値があるし、どうやってトーナメントを勝ち進めばいいのかを選手たちに伝えやすくなった部分はあると思います。
――上田西にとっては7年前に次ぐ快進撃となりましたが、どのようなストーリーがありましたか?
白尾 試合前のウォーミングアップを見ていると面白いですよね。相手チームは淡々とやっていたり、リラックスしながらもメリハリがあったり。こっちを見ながら笑っているチームもいて、その時は「やってやるぞ」という気持ちになりました(笑)。
僕は常にリラックスしながらやっていて、先ほどの大島さんの話ではないですけど、全国大会はなるべく平常心で戦ったほうがいいのかなと思います。

7年前には就任2年目でしたけど、チームが一体感を持つことを始めました。メンタルトレーニングの高妻容一先生やチームビルディング福富信也先生の講師を招いてチームに刺激を与えてすぐに反応を起こしました。
現役時代も含めて、選手と一体感があれば勝つと感じているのでそういうチーム作りをしてきました。
今年はその一体感がより深まって3年生を中心にまとまり、ベスト8まで勝ち進めたと思っています。
自分は生徒指導も並行している中で、行動に問題がある選手は使わないようにしています。技術的にうまいけど守備をしない選手にも、規律を守るように持っていきました。

7年前のエースの根本凌(現湘南ベルマーレ)も、ひたむきな選手でした。いろんな大学に行く選択肢がありましたけど、進学した鹿屋体育大学(鹿児島)は国立大学で選手もセレクションされる中で彼の能力がより良く磨かれると思っていました。
そこで実際に活躍して、湘南ベルマーレが鹿児島キャンプに来た時に練習参加して、また練習に来るように言われて…最終的にプロ入りが決まりました。

――勝ち進んできた中での共通項として、お二方ともインアウト(途中出場&途中交代)を行いました。
白尾 自分の中では「変えちゃおう」という感覚があります。徳島市立戦では交代選手がすぐに点を取って、矢板中央戦でも交代選手がロングスローでゴールに絡みました。
交代は(カードを)持っているか持っていないかもありますけど、「当たるときは勝つ、当たらなければ負ける」というくらいに思っています。
例えば今回もエースの松本翔琉がケガ持ちで、スタッフから「途中からのほうがいい」という意見も出ましたけど、彼が最初からいないと相手を威圧できません。それもある意味、賭けではありました。

大島 僕もインアウトは去年から初めてやりましたけど、そういう話は選手たちにもしていました。あれは戦術的にも効果があって、トーンが変わると相手もついていけなくなります。
やっぱり僕らは指導者なので、選手たちを勝たせて教育しないといけないし、自信を持たせないといけない。勝負にこだわるためにああいう選択をしました。
「心ない言葉もあった」草創期
ゼロからつかんだベスト8の価値
――ただ単に勢いで勝ち進んだわけではなく、そこに至るまでのストーリーがあるわけですね。
白尾 そういうストーリーの価値が、多くの人に伝わればいいですね。僕自身も以前に取り上げていただきましたけど、今回は長野県全体で戦う気持ちでやっていました。
ベスト8という結果を出して、外側の方からは声をかけていただけるようになりましたけど、内側はあまり変わらないところもあります。そこは正直、「なんでだろう?」と思ってしまう部分もあります。

大島 全国ベスト8の価値が伝わり切らないのかもしれないですね。男子は年々レベルが上がっている中でのベスト8なので、7年前のベスト4とはまた価値が違うと思います。
それは女子も同じで、今回は9地域代表制から47都道府県代表制にレギュレーションが変わりました。チーム数も32校から52校に増えた中で、ベスト8まで行けたわけです。
大会自体がどのくらいのレベルで、どれほど疲弊するものなのか。過去にそこまで辿りついた方もいないので、価値が伝わりにくい部分もあると思います。

白尾 たしかにそうかもしれないですね。それこそ佐久長聖はゼロからイチを作ってきて、県外の選手も多いですけど、色眼鏡で見られることもあったりはしたんですか?
大島 正直、そういう扱いを受けてきた側面はあります。やはり、受け入れられるまでに時間がかかるじゃないですか。自分たちのことを認めてもらうまでにも、すごく時間がかかるな…という感覚でした。
そもそも佐久長聖が女子サッカー部を立ち上げたのは、女子寮に生徒が少ないことがきっかけでした。それを埋めるために部活動を増やすと同時に、学校としてグローバル教育にも力を入れています。

女子サッカーを通して女子寮に生徒を増やしつつ、海外に人材を輩出していくのが狙いにありました。
そうなれば県外から人を集めることになりますけど、県内からでも寮に入ることはできます。ただ、創部にあたってリサーチした中でも、長野県に女子チームは少ない。
その状況で県内の選手たちを抱えたら、小さなパイの奪い合いになってしまいます。なので、県内の選手はできるだけ少ない人数しか取りませんでした。
そうなると周りから「県外ばかり」と見られるし、心ない言葉を受けることもありました。ただ、それも集まってくれた選手に非はないので、とにかく彼女たちと向き合うようにしてきました。
――それがどこかで「認められた」と感じるタイミングはあったのでしょうか?
大島 正直、いまだにないです(笑)。あるとしたら、「全国ベスト8」という結果を残したことで、サッカー関係者ではない方が耳を傾けてくれる機会は増えました。結果が切り口になって、より深い話ができるようになったところはあります。
大きな話をすると、僕は長野県の女子サッカーは危機的状況だと思っています。男子にしても、どれだけの人をサッカーに結び付けられるか。そこは確固たる課題だと思っています。

WEリーグ(女子プロサッカーリーグ)には12クラブがありますけど、そのうちの1クラブは長野県のAC長野パルセイロ・レディースです。
国内最高峰のチームがあることに対して、どれだけの人がプライドを持っているのか。小中学生の有望な選手たちが県外に流出している現状を、どう受け止めているのか。
もちろん選ぶのは選手たちの自由ですけど、「選択肢があった中で選ぶのか」「ないから選ぶのか」では全然違います。
僕たちは世界を見据えて戦ってきましたが、結局は全国で勝たないと見てもらえないし、理解されないところもありました。そういう意味では、ようやく土俵に乗り始めたのかな…という感覚はあります。
――勝ち続けることによって変わる部分もあるのかもしれないですが、そこにもまた難しさがあると思います。今後をどのように見据えていますか?
白尾 もちろん全国には毎年出たいですけど、簡単ではないと思っています。例えば松本山雅がプレーオフ決勝で2-0から追いつかれて、昇格できなかった姿を見ると、改めてサッカーの恐ろしさを感じました。佐久長聖が作陽に勝った試合も見させていただきましたけど、本当に「よく勝てるな…」と。
それは上田西が矢板中央に勝ったときもそうで、生徒に言ってもピンと来なかったみたいですけど、「本当に君たちはすごい」と話しました。それをもう一回やりたい気持ちはありながらも、現実的にはイチからのスタートだと思っています。

環境のせいにしてはいけないですけど、県大会でベスト8に入ったチームのうち、人工芝のグラウンドがないのは上田西と市立長野だけです。
県外から呼べる選手も限られるので、いまある環境でやっていくしかないですけど…。大島さんはゼロからイチを作ってきたので、僕よりも全然すごいですね(笑)。
大島 いやいや(笑)。僕は性格上ゼロからイチが好きなだけですけど、上田西もこの環境でベスト8まで行けたのは本当にすごいことだと思います。
僕らも結果だけを見れば、長野県を制して、北信越を制して、全国でベスト8に進んで…と、ここまではずっと右肩上がりで来ています。
ただ、今年もそうなれるかはわからないですし、苦しむところもあると思います。そこは現実を見ながらやっていきたいです。
