“緑で始まり緑で終わる” 熱きセンターバック高橋祥平が歩んだ道

歴戦のベテランがユニホームを脱ぐ。J3松本山雅FCは2026年6月3日、DF高橋祥平が百年構想リーグ限りで現役引退すると発表した。東京ヴェルディのアカデミーで育ち、当時のJリーグ記録を更新する17歳4カ月で開幕先発デビュー。今季までの18シーズンで6クラブを渡り歩き、リーグ戦通算431試合出場の足跡を残した。「いろいろなチームに行ってきたけれど、正直一番つらかった」と振り返る松本山雅でピッチに別れを告げる決断を下した34歳。6月6日の今季最終戦を前に、現役引退を決めた理由や松本山雅への思いを聞いた。
取材:大枝 史
KINGDOM パートナー
動かなくなった身体と向き合い
練習試合で訪れた決断の瞬間
――現役引退を決意した経緯を教えてください。
1週間前ぐらいは「まだやろうかな」と考えていて、松本大学との練習試合(5月25日)の時にやるかやらないかを決めようと思っていました。その時に思ったように身体が動いていなかったのが一番の理由で、覚悟が決まったというか。
本当ならばあと1〜2年やりたい気持ちもありましたが、他チームに行ったとしても迷惑をかけると思ったし、自分が出て活躍するイメージがあまりなかったです。
このチームで終わりたいのもあったし、いろいろ(葛藤が)ありながら…ふと思いました。

PROFILE
高橋 祥平(たかはし・しょうへい)1991年10月27日生まれ、東京都出身。小学生時代から東京ヴェルディのアカデミーで育ち、ユース時代の2009年に2種登録されてJリーグデビューを果たした。開幕スタメンとしては当時の歴代最年少記録(17歳4カ月8日)。12年のJ2開幕戦では、Jリーグ初陣の松本山雅FCを破った。その後は大宮アルディージャ、ヴィッセル神戸、ジュビロ磐田、FC町田ゼルビアを経て24年に松本山雅へ。経験豊富でビルドアップ能力にも長けたセンターバックとして存在感を発揮した。Jリーグ通算431試合出場24得点。180cm、73kg。
――今シーズンは石﨑信弘監督の元でポジティブにやり切ろうという姿勢が見られました。どのような心境で臨みましたか?
正直、ビビって1年間サッカーをやっていたのがリアルです。
練習はキツいし、ケガするんじゃないかな?とか。19〜20歳の選手たちと一緒のペースで走ることもあったし、そこも手を抜かないようなハードトレーニングでした。ついていけていないと思いますが、やり切ることはやり切りたいというのがあった中で、結構疲れたというか…。言い方は難しいですが、やり切れたらいいと思いました。

――清水キャンプでのケガもありましたが、ムードメーカーとしてチームを盛り上げていました。
ケガしたことも結構大きかったです。今年35歳(を迎えるの)で回復しない部分もあるし、体力的に厳しいこともあるし。いろいろ難しい中で半年しかないシーズンで結果を出さないといけないのもありました。
僕ではなくてゴリ(加藤)がムードメーカーだと思っていますが、少しでもみんなが楽なような雰囲気は作りたいと思っていました。
KINGDOM パートナー
「嫌だった山雅が好きに」
温かいサポーターが残したもの
――2024年に松本山雅に加入してからは難しいシーズンが多かったとは思いますが、松本山雅でのサッカー生活を振り返っていかがですか?
いろいろなチームに行ってきましたが、正直一番つらかったし、キツかったし、良い思い出もないようなシーズンだった――と、この2年半を振り返って思います。それは自分が結果を出せなかったとか、自分がもっと出ていればもう少し勝ち点を取れたんじゃないかとか。(そんな葛藤が)いっぱいありました。

でも自分の中では山雅のサポーターがすごく温かくて、あんなに熱狂的なサポーターを見てしまうと、「あそこでまだやりたいな」と感じたおかげで2年半やれたのはあります。山雅に来てからは良い時も悪い時もたくさんありましたが、「30歳を越えたらこんなものだろう」という感じです。

あんなに「やりたい」と思わせてくれるサポーターがすごいです。そのおかげで、(相手として対戦した経験から)嫌だった山雅の印象が結構好きなチームになりました。
今までいろいろなチームに行ってきましたが、けっこう山雅が好きだなと。だから山雅で辞められて良かったと思います。

――サポーターが松本山雅で終えたいと思わせてくれた――ということでしょうか?
サポーターが全てです。松本市民も良い人たちですし、いろいろなご飯屋さんも行ったし、いろいろな人たちと関わってきましたけれど、松本の人たちは本当に良い人で最高です。
「ビビりながら」走った最終章
セカンドキャリアは腰を据えて
――(アカデミー時代から在籍した)東京ヴェルディも特別な存在だったのではないでしょうか?
どんなところに行っても、「ヴェルディが一番好き」と言っています。小学校4年生からやってきて、技術で戦えるように育ててくれました。
あとはユース時代の柴田(峡)監督(元松本山雅監督)です。正しい道に導いてくれて、本当に助けられました。感謝しています。
ヴェルディだけじゃなく、大宮(アルディージャ)、(ヴィッセル)神戸、ジュビロ(磐田)、町田(ゼルビア)――。良いチームばかりにいさせてもらいました。(最終戦後の)セレモニーで感謝を伝えたいと思いますので、見ていてください。

――松本山雅というクラブはサッカー人生において、どんな存在ですか?
山雅は良いチームでした。人々も温かいし、サポーターも良い人たちばかり。自分のサッカーの実力の中であまり試合に出なかったことは悔いが残っていますが、辞めるにあたって自分はスッキリしています。
一言で言うと「山雅が好きになった」ということです。どこかで僕がコーチをやっていたら山雅のコーチになりたいと思いますし、また戻ってきたいと思えるようなチームでした。

――石﨑信弘監督の下でハードなトレーニングを積む中で、やり切った感覚も生まれましたか?
いやもう全く。まだビビってます。
オフ明け一発目が一番怖いです。ヨブさん(イ チャンヨブ・フィジカルコーチ)とイシさん(石﨑監督)のトレーニングが一番怖いから、そこだけはなるべくカットしたいなと(笑)。正直、朝起きて「『風邪引いた』って言おうかな…」と思ったことがあります。それぐらい今シーズンはキツかったです。
――セカンドキャリアの選択肢としてはサッカーから離れることもあるのでしょうか?
その可能性もありますが、6月はゆっくり決めていきたいです。これに関しては人生どうなるか分からないので。いろいろな話もある中で、ゆっくり焦らずやっていきたいです。

高橋祥平選手 現役引退のお知らせ
https://www.yamaga-fc.com/archives/547707
高橋祥平(Jリーグ公式選手名鑑)
https://www.jleague.jp/player/800137/#attack















