“考動”を止めない住田将 末広がりの「八」を背負って

松本山雅FCのMF住田将。多士済々のボランチ陣の中で、今季はJ3リーグ戦の27試合を終えて出場9試合にとどまっている。大卒3年目、背番号を「8」に変えて臨んだ勝負のシーズン。しかし苦境にあっても矢印を自分に向け続け、目の前の一日をひたすら丁寧に過ごしていく。その営みが示唆するものは何か、そしてシーズン終盤戦への意気込みは――。

文:大枝 令

試合に出られない無念さ
噛み殺して自らにベクトルを

メンバー表に、その名前はなかった。

8月24日、J3第25節。
松本山雅FCはアウェイでカターレ富山と対戦し、0-3と一敗地に塗れた。

ボランチはチームの中軸を担う山本康裕が当時、負傷で不在。先発の2人は後半にかけて運動量が落ちていた。しかしサブメンバー7人のうち、生粋のボランチはゼロ。トップ下も務めるMF國分龍司が途中出場で入った。

住田は、選ばれなかった。

「正直、(メンバーに)入るとは思っていた」

後日の取材に対し、苦笑交じりに振り返る。
ただ、直後にこう付け加えることを忘れない。

「とはいっても、自分がそれだけの印象を残せなかったから。『選ばなくてよかった』となるのか、『(メンバーに)入れておけばよかった』と思わせられるのか。それは次のピッチに立ったときのパフォーマンス次第だと思う」

1週間後の第26節FC岐阜戦は88分に途中出場。残り2分+アディショナルタイムの中でもタスクを遂行した。「5分間の中でボール奪取1回とシュート1回。印象にも残ると思うし、それができるようになってきている。個人的には感触がいい」と振り返っていた。

©️松本山雅FC

しかし第27節、大宮アルディージャ戦。
同じボランチの安永玲央が累積警告で出場停止だったが、故障明けの山本康裕が先発。住田はベンチを温め続けたまま、敗戦のホイッスルを聞いた。

「悔しい。めっちゃ悔しい。だけど、成長するしかない。『なんでだよ』って止めてしまうのは違う」

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陽の当たる場所で輝くために
「考えて、アクション」続ける

人生の指針にしてきたのは“考動”というキーワード。元球児の父親が折に触れて発していた言葉で、住田自身も小学生時代から大切にしてきたという。「今何をすべきか」を考え、行動に移す。書いてしまえばシンプルそのものだが、実践し続けるのは決して容易ではない。

それを、住田は続ける。
愚直に。

©️松本山雅FC

例えば身体づくり。オフは80m走を何本もこなし、ボックス・トゥー・ボックスの強みに磨きをかけた。シーズンイン以降は下半身の筋トレで瞬発系を多く採用。ゼロから一瞬で最大出力を出せるよう、より実戦的な自主トレを積んできた。

練習でも同様。「ボールを奪えるようになる」とテーマを決めたら、具体的に自分の中で目標回数を設定する。セッションごとのトレーニングの狙いに即しながら、内なる目標を定めてコツコツと取り組む。

「気分が乗らない日はもちろんある。それでもやる。みんなが休んでいる間に。その差をピッチの中で出せるように、自分が積み上げてきたものを出す」

©️松本山雅FC

PROFILE
住田 将(すみだ・しょう)1999年8月19日生まれ、愛知県出身。小学校3年生の時に名古屋グランパスU-12に加入。U-15とU-16の日本代表に選ばれ、名古屋U-18の途中で青森山田高に移った。東京学芸大を経て2022年、松本山雅FCに加入。1年目は20試合出場3得点、2年目は29試合出場。左利きの長身ボランチで、ピッチ内の広範囲をカバーするタフネスも持ち味とする。181cm、73kg。

J3からの再起を期す松本山雅の中で、思えば苦い思いばかりしてきた。大卒1年目の2022年は20試合、23年は29試合に出場。しかしいずれもJ2昇格には至らず、3年目の今季はひときわ強い思いを持ちながら始動したはずだった。

「90分間止まらないでアクションし続けることを意識してやりたい。全部ボールに絡むぐらい、攻守において動き続けられることをテーマにしている」。2月上旬の鹿児島キャンプ中、そんな意気込みを口にしていた。

背負うは名古屋の心意気
シーズン終盤戦へ「全て出す」

昨季までとの進化を示す心意気から、背番号も「36」から「8」に変更。八は尾張徳川家の合印で、名古屋市の市章でもある。ただ、自身が名古屋市出身だから――というわけではないという。しかし結果的にだが、故郷にまつわる特別な番号を背負ってはいる。

名古屋グランパスのアカデミー出身。U-12からU-18の途中まで在籍し、幼少期は豊田スタジアムの熱狂に身を浸した。2015年には松本山雅との開幕戦も観戦。おらが街のJ1初陣を後押ししようと、アウェイから約10,000人が詰めかけた光景は今でも忘れられない。

2015年3月7日、松本山雅のJ1初陣となった名古屋グランパス戦

「衝撃的だった。アウェイ席が満員で、タオルを振り回しているのを見て鳥肌が立った。その時から松本山雅と言えばあの応援というイメージ」。2022年の加入当初、そんなコメントを残している。

ひるがえって自分が緑のユニフォームに身を包むようになってから、笑ってシーズンを終われたことはまだない。今季はその中でも、最も出場機会が少ない。もちろん再三のケガも影響したものの、山本康裕、米原秀亮、安永玲央と実力者がそろうボランチの中で、割って入るには至っていない。

それでも、住田は愚直に日々を送る。

©️松本山雅FC

松本山雅は27試合を終え、10勝8分9敗(勝ち点38)の10位。個人としてもチームとしても不本意な状況の中、残り11試合で存在感を示し、チームの勝利に貢献できるか。

「終盤戦にパワーを溜めてきたつもりだし、ここで全部出すくらい蓄えてきた。練習からチャンスをもらえるようにインパクトを残すこと。あとは(ピッチでインパクトを)残せなかったほうが悔しいと思うので、その気持ちで積み重ねている」

“鳴かぬなら 鳴くまで待とう 時鳥(ほととぎす)”

そう詠んだとされる徳川家康はのちに、約260年続く江戸幕府の初代将軍となった。もちろんスケールもフィールドも時代も違うが、住田も同様に「待っている」。粘り強く、くさらず、日々を積み重ねながら。期せずして背負ったその番号にはおそらく、末広がりの未来が託されている。

©️松本山雅FC

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