フロアジェネラル・生原秀将 試練を乗り越え“3年目の正直”へ
身体を張ったディフェンス、ルーズボール。自分を犠牲にしてでもチームを勝たせる、チームに熱い魂を注入する。それが生原秀将という男だ。加入して2シーズンは相次ぐ脳震盪やケガに苦しんだものの、第2節愛媛オレンジバイキングス戦GAME1で約9カ月ぶりに公式戦復帰。青森ワッツを迎える10月19-20日のホーム開幕戦、約1年8カ月ぶりにホワイトリングのコートに立てるだろうか――。
文:芋川 史貴/編集:大枝 令
脳震盪とケガに苦しんだ2シーズン
プレーヤーを続ける、大きな決断
2023年2月5日の出来事だった。
B1第21節GAME2、川崎ブレイブサンダース戦。その日の試合も生原らしさ全開のディフェンスで、相手チームにプレッシャーをかけ続けていた。しかし、相手ビッグマンのスクリーンが頭部に直撃。その後もプレーは継続したものの、感覚がおかしい。
勝久マイケル・ヘッドコーチ(HC)の指示がオフェンスのことなのか、ディフェンスのことなのか判断がつかない――。
後日、脳震盪と発表された。
2022年に横浜ビー・コルセアーズから加入した生原。開幕から先発出場するなど、勝久HCから信頼を勝ち取っていた。
2017-18シーズンに栃木ブレックス(現宇都宮ブレックス)で、選手とアシスタントコーチとして1シーズン時間をともにした。勝久HCはその後、信州のHCに就任。生原は、シーホース三河と横浜(現横浜BC)で3年キャリアを積んでいたが、その間にも勝久HCからは熱烈なオファーがあったという。
満を持しての加入だった。
それなのに、だ。期待とは裏腹にシーズン中盤で戦線離脱を余儀なくされた。脳震盪には多様な症状が見受けられ、めまいや吐き気、記憶障害もその一例だ。光や音への過敏性も症状として表れるため、生原はベンチの後ろでチームを見守ることにも時間を要した。
選手生命はもちろん、命にも関わる決断でもある。それでも生原は、この世界に身を置き続けることを選んだ。会場に足を運ぶのもやっと…というコンディションの中で、勝久HCのバスケットへの情熱にコートサイドで触れてスイッチが入ったのだという。
指揮官は当時を振り返る。
「プレーを続けていくのかどうか。本人にとっては一番大きな決断だったと思うけれど、しばらく経ってから『やっぱり続けたい』という強い決心を本人がしてくれた」
2シーズン目の昨季は少しずつ練習も再開。対人練習も重ね、2024年1月6-7日のアウェイ・長崎ヴェルカ戦で約1年ぶりにコートに復帰した。第1戦ではわずか11分の出場ながらチーム最多の4アシスト2スティールと、攻守でチームをけん引。連敗を15で食い止めた。
だが翌日の第2戦、左ハムストリングの肉離れ。
再び戦線から離れたままシーズンを終えた。
その中で決断した信州での3シーズン目。
どんな思いが胸中を去来していたのだろうか。
「ケガをして2シーズンあまりチームに貢献することができなかったにもかかわらず、プレーできる機会がまだあることに感謝している。その中で、このまま他のチームに行ってプレーするのは自分の中でも心に少し残る部分があった。それが(継続の)一番の決め手だった」
もちろんケガも脳震盪も、望んでなったわけではない。それでもプロとしてその力を求められた。であれば、力を発揮しなければならない。
指揮官も言う。
「ケガの内容を見ても決して身体が弱いからというわけではなく、頑張っているから起きたアクシデント。まずは次こそ、アクシデントなくプレーできることを信じている。プレーさえできれば素晴らしい選手であり、我々に必要な選手だと思っている。彼がプレーできるならここにいてほしいという思いがあった」
信州のディフェンスを体現するPG
“フロアジェネラル”としての側面も
「フロアジェネラルであり、コーチのエクステンション」
PGの役割について、勝久HCはそう説明する。コート上の司令塔であり、指揮官の分身。オフェンスの司令塔であるのはもちろん、試合全体をコントロールする役割や、チームルールを円滑に遂行させる重要な役割でもある。
生原の魅力と言えば、泥くさく執拗なディフェンスだ。本人も「ディフェンスは自分の売りの一つ」と自信をのぞかせるように、自身の身体を犠牲にしてでもチームにエナジーを与え、“信州=ディフェンスのチーム”というアイデンティティを体現する。
指揮官も「何よりもディフェンスで前から当たれて、ディフェンスのトーンをセットできるPG。そして今誰が当たっていて何がしたいか、ピックアップしてクリエイトできる」と太鼓判を押す。
PROFILE
生原 秀将(いくはら・しゅうすけ) 1994年5月24日生まれ、徳島県出身。徳島市立高ではウインターカップ、インターハイを経験したほか、U18トップエンデバーに選出。卒業後は筑波大に進み、満田丈太郎や馬場雄大らとプレーした。その後は栃木ブレックスで同ポジションの田臥勇太から多くを学び、シーホース三河と横浜ビー・コルセアーズを経て2022年に信州へ加入。PGとして攻守に高水準のプレーを見せるが、脳震盪やケガなどで出場機会は限られていた。182cm、80kg。
初めてPGを務めたのは筑波大時代。ゲームコントロールを学んだ。
「オフェンスで誰が今シュートを打つべきなのか、どのプレーをコールするべきか。時間のリズムの作り方も、向こうの攻撃回数を減らすためにこっちがスローテンポにしたり。ゲームの流れをずっと考えながらプレーすることを、無意識のうちに意識している」
信州に不可欠なディフェンスを体現しつつ、“フロアジェネラル”として勝利を呼び込む。今シーズンは石川海斗、山崎玲緒の日本人3人に加え、ペリン・ビュフォードも状況に応じてPGを務める。異なるタイプの各自が持ち味を出しながら、勝利を重ねていく。
第2節の愛媛戦GAME2、生原はベンチを外れた。それはチーム内で前もって決められていたことで、アクシデントではないという。もちろんコートに立てばフルパワーなのは当然だし、コンディションは限りなく100%に近い。
「9カ月ぶりだったし、その前も長い期間休んでいた。バスケットができる楽しさがあったり、ミスがあったり、良いプレーもある。本当に全てが楽しくて、子どもの頃に戻ったような感覚でバスケットができている」
そしていよいよ、ホワイトリングのコートに戻ってくるかもしれない。10月19日の青森ワッツ戦に出場すれば、脳震盪となった川崎戦から数えて622日ぶりのホーム。オフェンシブな青森を相手に、持ち味のディフェンスとゲームコントロールで白星を呼び込めるか。
「なかなかプレーができない状況にもかかわらず温かい言葉をかけてくださったり、ベンチにも入っていない時に応援してくださる方がたくさんいた。そういった方々の声はすごく力になったし、すごく感謝している」
指揮官、チームメイト、そしてブースターへ――。その真価を示す、恩返しのシーズンが始まった。
B2リーグ第3節 青森ワッツ戦 試合情報
https://www.b-warriors.net/lp/game_20241019_20241020/
Bリーグ 選手個人成績 生原 秀将
https://www.bleague.jp/roster_detail/?PlayerID=10822
クラブ公式サイト
https://www.b-warriors.net/