“46歳のサッカー小僧”芦田徹が異例の転身 昨夏覇者・昌平高の監督に

長野県の高校サッカー界にとっては、大きなニュースだった。2025年4月1日、芦田徹氏が昨夏インターハイ覇者・昌平の監督に就任。昨季までの13年間は市立長野を率い、インターハイ2回出場、全国選手権1回出場と県内屈指の強豪に押し上げた指揮官だ。今回は昌平・藤島崇之チームディレクター(TD)の熱烈なオファーを受けて覚悟の転身。大きな決断を下して新天地に飛び込んだ、「46歳のサッカー小僧」を直撃した。
文:大枝 令
選手とのファーストコンタクト
「誰?」と不審がられる覚悟も
「普通に考えれば、『誰だ?』という話じゃないですか」
芦田はそう言って、苦笑いを浮かべる。
無理もない。昌平は近年で一気に全国の強豪校に名を連ね、高円宮杯U-18リーグは年代最高峰カテゴリーのプレミア(EAST)所属。昨季は元日本代表FW玉田圭司氏が指揮を執り、インターハイで初優勝を果たした。

年代別日本代表が在籍するだけでなく、Jリーグの選手も複数輩出。長野県のJクラブでは、DF佐相壱明(2020年AC長野パルセイロ、24〜25年松本山雅FC)、GK西村遥己(25年松本山雅FC)らの母校でもある。

ひるがえって、芦田。長野県内のサッカー界では知られていたものの、全国的にはほぼ無名。2017年にはMF新井光(現FC今治)を擁してインターハイで16強に入った経験はあるが、コンスタントに全国舞台に出ていたわけではない。

輪をかけて、前任者はかつての日の丸戦士。選手の立場からすると、ギャップは計り知れない。
「誰も聞いたことのない公立高校の教員が来て『さあ、今日から一緒にやるぞ』と言ってきても、まず『誰だよ?』という話になると思う。僕はそれを覚悟して来た」

PROFILE
芦田 徹(あしだ・とおる) 1978年、丸子町(現上田市)出身。松商学園高時代は全国高校選手権でベスト16を経験し、順天堂大に進学。卒業後はTDK(現ブラウブリッツ秋田)でプレーした。その後に長野エルザSCと上田ジェンシャンに所属。2004年から教員となり、初任地の小諸商でサッカー部を創設。11年には県高校総体4強に導いた。2012年から市立長野で指揮を執り、16年と17年にはインターハイに2年連続出場。17年には16強を経験した。21年には北信勢で初となる全国高校サッカー選手権県大会を制覇した。
しかし、ファーストインパクトでその懸念は雲散霧消した。
「誰?みたいな感じは全然なく、話に耳を傾けてきた。『うまくなりたい』という気持ちを感じられるような傾聴力だった」
「うまくなることに対して本当にピュアな選手たち。だからこそ僕も、彼らに考えを遠慮なくぶつけられる状況になっている」

取材に赴いたのは2025年4月6日、高円宮杯U-18プレミアリーグEASTの開幕戦だった。
合流から2週間弱。それでも試合前やハーフタイムには選手一人一人の名を呼び、細かなゲーム戦術を授ける。最後は闘うマインドに強く訴えかけて送り出していた。
市立長野時代と同じスタンス
「選手の将来に触れている」
そもそも、「なぜ?」という疑問が浮かぶ。
市立長野高時代までは、長野県教育委員会に雇用される地方公務員だ。現役時代は松商学園で全国高校選手権16強を経験しており、中村俊輔擁する桐光学園(神奈川)との対戦まで進んだのは県内高校サッカー界の語り草でもある。

子どもも長男は新高校2年生。今回の決断を聞いて「自由だなあ」と呆れられたという。もちろん、自身も当初は全国強豪の私立校で指揮を執るキャリアプランはない。その野心もなかった。
「僕がこういうところでサッカーに携わる絵は本当に自分の人生の中になかったし、その欲求もなかった。元々は自分は本当に“雑草魂”だし、弱者の発想でサッカーをずっとやってきた」

市立長野では、名刺代わりのスタイルを毎年のように表現していた。
年により細部の違いはあるものの、現象ベースだと基本的にはボール保持型。可変してボールを繋ぎ倒し、崩し切って決める。
走り回らされた相手は、そのうち心身のスイッチが切れる。ボールもゲームも支配する。その主体的なスタイルに魅せられて門を叩く選手も、少なくなかった。

ただし、芦田の真髄はその表層レイヤーよりも深い場所にある。
例えば前任の市立長野と現在の昌平では、選手たちのクオリティは当然異なる。「こういうチームを指導するにあたっての喜びや覚悟は」――という問いに対して、やんわりと否定する。

「ルールが変わるわけではないし、サッカーはサッカー。そこに関して変な力は入っていないし、サッカーからブレないようにするだけ」
「そうは言っても、多くのポテンシャルを持った才能がいる。その選手たちをどう花開かせていけるのか。そこはまだまだ自分が知らない部分」

そもそも根底にあるのは、「相手の嫌がることをする」スタイル。ロングボールも躊躇なく使うし、攻守のゴール前では遂行力にもこだわる。「型なしが最強の型」が積年のフィロソフィーでもある。
それは市立長野であろうと昌平であろうと不変。そしてもう一つ、選手たちの未来を左右する立場であることも不変だ。

「今までの学校もそうだけれど、選手たちの将来に触れていることは変わらない。サッカーの部分だけでなくパーソナリティやマインドの部分も含めて、選手たちにとって有益な存在でありたい」
「他の選択肢はなかった」
藤島TDが明かす“獲得秘話”
こうした教育者としての側面も含め、昌平の藤島TDに白羽の矢を立てられていた。
そもそも順天堂大で芦田が2学年上の先輩と後輩。昌平が強化を始めた黎明期から練習試合を組む間柄。昨季にインターハイを制して初の全国王者に輝いたものの、“その先”を見据えての人選でもあった。

藤島TDが理由を明かす。
「どうしたら選手が育つか、どう選手を考えさせるか…を常日頃から考えている。一方で選手たちは勝ちたいし、そういうアプローチでないと勝ち続けることは難しい」
「これから勝ち続けるためにどうやってベースをもう一回確立するか。芦さん以外の、他の選択肢はなかった。尊敬する先輩だし、フットボールに関しては(現役時代は)本当にうまかった」
しかし本人は話が荒唐無稽すぎるのか、当初は半信半疑。それでも「正直、うれしくはあった」と打ち明ける。

藤島TDは複数回、長野県を訪れる。全国高校選手権長野県大会の会場にも足を運んだ。芦田も「こんなにも大事な組織を自分に預けてくれようとしている」と気概を感じ、最終的には昌平のコンセプトに深く同意して首を縦に振った。

「『この昌平を日本一、人が育つ集団にしたい』と(藤島TDが)言っている。自分が指導者人生を何十年もやってきた中で、そこのコンセプトは本当に一緒」
「僕らにできることは、サッカーを通じて魅力的な人間を作っていくこと。サッカーを通じて子どもたちが成長していける手助けをしたい」
初陣のプレミア開幕戦は白星
長野県との「架け橋」を提案
こうして、46歳にして新天地に飛び込むことを決めた芦田。初陣となったプレミアリーグ開幕戦は市立船橋(千葉)を迎えてのホームゲームだった。

監督は準備が全て――というのが信条だからこそ、試合当日は普段なら平常心。しかし今回ばかりは「緊張した。朝起きたらけっこう、ソワソワしている自分がいた」と苦笑いする。

試合は1-1の90分、U-16日本代表FW立野京弥が勝ち越し弾。芦田は選手やスタッフ陣と一緒に歓喜の輪に飛び込んで加わる。サッカー少年のような笑顔が弾けた。

しかしその直後、すぐピッチに視線を移して大声で指示を送る。アディショナルタイムもリードを守り切り、白星発進とした。
教員ではなく、学校職員としての立場。新たな環境でも同じように選手たちと向き合い、同じようにサッカーに没頭する。長野県高校サッカー界にとっては、「喪失」なのだろうか――。

そんな懸念を察知したのか、芦田は強調した。
「ここに来たことでまた新しくいろいろな繋がりができてくる。自分ももちろん長野県出身だから関わり続けたいし、そこは絶対にマイナスになることはないと思う」

横で聞いていた藤島TDが、それを受けて続ける。
「僕らはこれをきっかけに交流したいと思っている。本当に従来から昌平はそういうスタンスだし、何かしらのコミュニティができればいい」

また別角度から故郷・長野県へのアプローチも模索する。不惑はとうに過ぎ、知命が目前だ。それでも「四十七にして惑わず」。従来通りの熱量とスタンスで、新たな地平を切り拓く。
高円宮杯 JFA U-18サッカーリーグ プレミアEAST
https://www.jfa.jp/match/takamado_jfa_u18_premier2025/east/schedule_result/