何度でも“蘇生”する山本康裕 「君と見たい夢の続き」とは

今季の松本山雅FCは、一人のボランチを抜きにしては語れない。山本康裕、35歳。長年所属したジュビロ磐田から移籍して1年目、中盤で攻守に大きな存在感を放っている。卓越した技術と戦術眼でチームを牽引してきたが、残り4試合で8位。J2昇格へのわずかな光をつかむため、いま何を思うのか――。本人が愛するMr.Childrenのナンバーさながらの道のりをたどる。

文:大枝 令

「満員のアルウィンが僕の夢」
磐田時代の「康裕シート」も継続

口数は少なく、ポーカーフェイス。
ともすると、ぶっきらぼうにも映る。

5月3日にJリーグ通算400試合を達成した時も、10月29日に35歳の誕生日を迎えた時も。山本康裕に受け止めを尋ねると、「特に何もないっす」と曖昧に首を傾げて話は終わった。

©︎松本山雅FC

PROFILE
山本 康裕(やまもと・こうすけ) 1989年10月29日生まれ、静岡県出身。中学時代からジュビロ磐田のアカデミーに所属し、U-18の高校2年生時にトップチームにデビュー。2006年当時はクラブ史上最年少だった。以降はアルビレックス新潟に期限付き移籍した2014途中〜15年を除き、磐田一筋。名波浩、中村俊輔、遠藤保仁らとともにプレーした。今季、松本山雅FCに移籍。技術と戦術眼に優れたボランチとして主軸を担っている。5月にJリーグ通算400試合出場を達成。179cm、77kg。

しかしその実、胸に期するものはある。
特に、サポーターについてだ。

例えば4月28日、ホームのカターレ富山戦。アウェイ側も含めて10,832人が集まって3-1で白星を挙げた試合。アウェイ観客エリアの横に設けられたホーム北側ゴール裏の密集に言及し、喜びを口にした。

「逆側が埋まっているのがすごくうれしかったし、富山さんもたくさん来てくれた。満員の(サンプロ)アルウィンが僕の夢というか、見てみたい景色。それは僕らに懸かっていると思うし、何とか11,000人、12,000人と増やしていけたらいいと思う」

©︎松本山雅FC

前所属のジュビロ磐田時代と同様、ホームゲームでは「康裕シート」を設けてS席に1組2人を招待。「試合を見るためには時間もお金も犠牲にしていただいている。数は少ないけど、そういう人たちのサポートだったり、(抽選に)当たる喜び、見に行く喜びを感じてもらいたい」と話していた。

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苦戦続きのチームを救うため
何度でも生まれ変わっていく

そもそも、松本山雅に移籍した理由の大半を占めているのは「スタジアムの雰囲気」だった。U-18時代から磐田で足掛け16年プレー。契約満了となった後の新天地を、J3の松本山雅に求めた。もちろん、上のカテゴリーの選択肢もあった中でだ。

「あのスタジアムがすごく魅力的だった。決め手の大半は、あのスタジアム」

©︎松本山雅FC

磐田時代から、何度となくサンプロ アルウィンではプレーした経験がある。ゴール裏からだけでなく、四方から声援が降り注ぐ空間に惹かれたという。実際にピッチに立ってからは、チャントを口ずさんでいた時もある。相思相愛の物語を紡ぐ――はずだった。

しかしシーズンが進んで終盤戦に入っても、チームは突き抜けられないまま。当初目指していたJ2自動昇格はかなわず、J2昇格プレーオフ圏内までは勝ち点差1。前回のホームゲームはガイナーレ鳥取に大量4失点を喫し、試合後のスタジアムには怨嗟が渦巻いた。

©︎松本山雅FC

それでも山本康裕は、変わらずに前を向く。
ベテランとして、若いチームを牽引する。
日々のマインドも含め、言動で示そうと試みる。

「ピッチ上で(選手たちが)判断するにも、判断材料や引き出しがなければしようがない。それも含めて日々の練習はすごく大事。本当にうまくなりたいのであれば、たかが1〜2時間の練習を全力で取り組むのは難しいことじゃない。そういうマインドに僕が持っていかなければいけない」

©︎松本山雅FC

若い選手の持ち味を引き出すような黒子役に徹することも多い。チーム内の誰もが認めるクオリティ。ボールを失わず、パス一つにメッセージが込められる。

だがそれを、他の選手たち全員が実現できるわけではない。もどかしさと格闘しながら、考え方を柔軟に変えた。「若い選手が感じ取れないだけ…とは思わずに、自分がもう少し見せてあげられればいいのかもしれない」。

©︎松本山雅FC

耐えて、変わって、貫いて――
サポーターと見たい「夢の続き」

1月7日、新加入選手会見後の個別取材。山本康裕は「取材は苦手」と明かしながら、すぐ「でも、それも変わっていかなきゃいけない」と付け加えた。その宣言どおり折に触れて言葉を紡ぎ、グラウンドでも背中だけでなく語るようになってきた。

長年親しんだサックスブルーのユニフォームを緑に着替え、新天地で殻を破るチャレンジ。もとより磐田時代は元日本代表MF遠藤保仁とボランチを組み、「成長に年齢は関係ない」ということも身に染みている。

©︎松本山雅FC

だからこそ。本心を言えば、繋ぎ倒したい。はがして前進させて、圧倒したい。もちろん、土俵際のチームがそれらを手放したわけではないが、山本康裕は「戦う」という原点にクローズアップもしている。

「技術や戦術以外のところで勝負が分かれることもあると思う。そういう世界である以上、『気持ち』は大前提として持っていなければいけない」

「この最後のひと勝負のところで身体を動かすのは心だと思う。尻拭いは僕がするから、みんなは思い切ってやってきてほしい」

©︎松本山雅FC

戦う理由は、主に2つある。

まずは若い選手たちに、J2以上の景色を見せるために。「上のカテゴリーに選手を連れていきたい。J2でもいいチームはたくさんあって、うまい選手もたくさんいる。そういうことを体験させてあげたいので、何としてもJ2に上げたい」。

そしてもう一つは、苦境でもなお松本山雅を応援する人たちのために。

「何よりも『うちのサポーターはこんなにすごいんだ』ということを、J2の各チームに見せつけたいというのが一番。何としても選手もサポーターも連れていきたい」

©︎松本山雅FC

サンプロ アルウィンに惹かれて、松本に来た。
もどかしさに悩みながら、生まれ変わった。

リーグ残り4試合、求める勝ち点は最大の12。
山本康裕にはまだ、やりかけの未来がある。


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