その気迫は“フォルテシモ” 野々村鷹人と「4」にまつわる物語

青竹のようにまっすぐ、ぐんぐんと成長してきた。松本山雅FCのセンターバック・野々村鷹人。大卒4年目となる今季はチームメイトから学んでビルドアップの能力をさらに高めるなどし、熾烈なチーム内競争を生き抜いてきた。そして第35節テゲバジャーロ宮崎戦では、起死回生の決勝ヘッド。勝負どころで大仕事をするその姿は、かつての背番号「4」にも重なり始めた。

文:大枝 令

苦境を救うヘッドでキャリアハイ
スタジアムの雰囲気を“最高潮”に

篠突く雨さえ振り払う、鮮烈な一撃だった。

2024年11月2日、サンプロ アルウィン。0-0で迎えた83分、右CKの2次攻撃から菊井悠介がクロスを入れる。ファーサイドには野々村鷹人。185cmの宮崎DF黒木謙吾の上から叩きつける、豪快なヘッドで試合を動かした。

©︎松本山雅FC

「あの形しかなかった。相手もセットプレーを大事にしてくると思ったし、すごく難しい試合。でも1本のチャンスで決めて、(チームの)ピンチを救えた。強いチームはああいう試合を取っていくもの。助けることができたのは個人として良かった」

水浸しのピッチで雄叫びをあげる背番号44。約8,500人が訪れたスタジアムは歓喜に沸き立ち、そのチャントが高らかに響きわたる。HOUND DOGが1985年にリリースした「ff(フォルティシモ)」のメロディーラインに乗せて。

©︎松本山雅FC

「野々村鷹人、お前が砦さ」
「勝利のために 強く、強く」

いつか慣れ親しんだ光景が、脳裏によみがえる。

このチャントは、2010夏〜19年までプレーしたDF飯田真輝さんから引き継いだもの。流通経済大の遠い先輩と後輩にもあたる間柄。野々村は21年の加入当初から、飯田さんへの憧憬を口にしていた。

©︎松本山雅FC

PROFILE
野々村 鷹人(ののむら・たかと) 1998年5月13日生まれ、滋賀県出身。綾羽高時代にインターハイ出場。流通経済大に進んで当時の曺貴裁コーチらに薫陶を受け、2021年に松本山雅FCに加入した。1年目から出場機会をつかみ、コンスタントに試合に出場している。憧れの選手は、大学と山雅の先輩である飯田真輝さん。空中戦の強さを誇るセンターバック。昨季以降はビルドアップ能力も高まるなど、着実に成長を遂げている。183cm、78kg。

「セットプレーやヘディングの得点があると聞いていたし、サポーターからすごく愛されていた。インタビューを見たこともあり、サッカー以外の面でも素晴らしい。自分もそうありたい」

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大学の先輩・飯田真輝さんに憧れ
前節は初めてキャプテンマークも

山雅への加入を決めたのも、飯田さんの存在が決め手だったという。背番号ももちろん同じ「4」を希望。しかし今まではかなっておらず、リスペクトの念を込めて「44」をつけてきた。

いずれにしても高くそびえ、苦境を救ってきた。この試合はピッチに水が浮くコンディションとなり、「走る」「戦う」といった側面がクローズアップされた一戦でもある。

©︎松本山雅FC

その中で0-0の終盤、無骨なセンターバックが値千金の決勝点。右肩上がりだった時代の松本山雅にも重なるような、血が沸き立つ瞬間を演出した。

そして11月9日、いわてグルージャ盛岡との前節。

試合は序盤から素早くリードを奪って今季最多の6得点。キャプテンマークを巻いていた山本康裕が86分に交代となり、キャプテンマークは野々村の腕に託された。

©︎松本山雅FC

「初めてのことで、新鮮な感じだった。逆転される点差ではなかったけれど、最後までゲームを締めること。責任をしっかり果たそうと思っていた。いつかああいうリーダーシップを持てる選手になりたい」

「松本山雅の背番号4」に強く憧れてきたプロでの「4」年間。2022年オフ、当時の4番・安東輝は「まだ早い」と苦笑まじりに話していた。23年オフ、飯田さんに相談。「結果を残せず昇格もできなかったのに4をつけて、それで悔しくないの?」と返ってきた。

その通りだった。

今季の「4」高橋祥平からも学び
Jリーグ通算100試合のピッチへ

そうした経緯を経て、今季の「4」は高橋祥平が背負う。J1、J2でリーグ戦401試合を経験してきたベテランのセンターバック。ビルドアップ能力にすぐれており、熱心に助言を求める野々村には目をかけてきた。

「ノノが特にそうだけど、聞いてくることが多い。俺が今までやってきたことを教えたいと思っているし、いい仲間だからやっぱりアドバイスもしたい」と高橋は話す。

©︎松本山雅FC

ちなみに高橋は高卒ルーキーだった2010年、飯田さんと東京ヴェルディでチームメイトだった。1年目からJ2のピッチに立っており、当時大卒3年目の飯田さんは出場機会を求めて当時JFLの松本山雅に移籍。数奇な縁の糸に手繰り寄せられ、野々村は新旧の背番号4から学び続けてきた。

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右も左もわからなかったルーキーイヤー。自信があるはずの空中戦で当時V・ファーレン長崎のFW都倉賢に完敗したが、今季再戦した際にはきっちり封じ込めた。プレーも指示通り遂行するのが精いっぱいだったものの、今では自分で解決策が浮かぶ。

高く、強く、そして頼もしく――。

そうして経験を積み重ね、通算99試合。次節に出場すれば100試合の節目を迎える。「砦」としての風格も少しずつ漂わせ始め、ラストスパートに身を投じる野々村。目指すのはもちろん、J2昇格プレーオフも含めた残り「4」試合での「4」連勝だ。

©︎松本山雅FC

「勝点3しか自分たちはいらない。やっぱり『4』をつけるとしても、勝ってJ2に昇格してから言うべきだと思う」

今季の結末は誰にも分からず、ましてや来季の話をすれば鬼が笑うだろう。ただ現時点でも野々村の「44」は、新旧4番のスピリットをその背に連ねている。

©︎松本山雅FC

J3リーグ第37節 FC琉球戦 試合情報
https://www.yamaga-fc.com/match/detail/2024-j3-match37
クラブ公式サイト
https://www.yamaga-fc.com/
Jリーグ公式サイト選手紹介 野々村鷹人
https://www.jleague.jp/player/1632230/#attack


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