伊那谷から五輪目指す19歳 185cmのセッター竹松魁柊が日本代表登録メンバーに

2025年4月17日、バレーボール男子日本代表登録メンバーが発表された。VC長野トライデンツから工藤有史が選ばれたほか、長野県出身の選手も1人がエントリー。伊那市出身の19歳・竹松魁柊(国士舘大2年)だ。中学生からバレーを始め、岡谷工業高からセッターに転向した185cmの有望株。関東大学春季リーグ男子1部の会場に赴き、その生い立ちや将来の目標などについて話を聞いた。
文:大枝 史/編集:大枝 令
現在につながる転機は岡谷工時代
“得意なオーバー”からセッターへ
「バレーボール一家だった」というが、始めたのは伊那市春富中に入ってから。スポーツが好きで、小学生時代はサッカーと野球に汗を流していた。
3年生まではサッカー、4〜6年生は野球。ちなみにバレーボールをできる環境がなかったわけではない。「小学生の時は野球を頑張ろうと思っていて、中学から絶対にバレーをやると決めていた」

今でこそ身長は185cmと大きいが、中学県選抜ではリベロで呼ばれたくらいのサイズ感だったという。
その後は「県のトップでプレーしたい」という思いを胸に、岡谷工業高へ進学。エバデダン・ラリー(大阪B)など数多くのトップリーグ選手を輩出する松本国際高と悩んだものの、友人に誘われたのが決め手になったという。
ここで、現在につながる大きな転機が訪れた。

当初はミドルブロッカー(MB)だったが、2年生の夏にセッターを経験。チームのセッターが体調不良で練習試合に出られなくなってしまい、竹松に白羽の矢が立ったのだ。
「元々オーバー(パス)が得意だった」という竹松。そこから大日方崇徳監督による指導のもと、セッターに転向した。
「自分をセッターに育ててくれたのは大日方監督。すごく熱心に教えてくださったので感謝したい」。当時を振り返って恩師に感謝の言葉を述べた。
映像でトップ選手を徹底研究
戦術眼を磨いて苦手克服を狙う
185cmのサイズを生かした、高い位置からのトスアップを持ち味とする。その半面、セッター転向からおよそ3年。目下の課題はゲームの組み立てだという。
「経験値的にはどの大学のセッターと比べても、自分は圧倒的に少ない」

3月中旬に右脚の靱帯を傷めており、現在は戦列を離脱中。それもあって、バレーボールの映像を見ながら組み立てを研究。「練習以外の部分で他の選手たちを越えられるように努力している」という。
目標とするセッターもいる。関田誠大(STINGS愛知)、大宅真樹(サントリー)、永露元稀(大阪B)の名前を挙げた。
中でも関田の映像はほぼ毎日見て組み立てを学ぼうとしている。ただ、タイプで言えば高身長192cmの永露。「自分と似たようなタイプなのが永露選手なので、超えられるようにしたい」と野望も口にする。

今回の日本代表登録メンバーには、名前を挙げた3人も選出されている。そこで得られる経験を無上の糧とできるか。
「(登録メンバーに)選ばれたからといって浮かれている場合ではないと思う」と表情は硬い。将来の目標は「オリンピックでメダルを獲ること」。選ばれたのはゴールではなく、あくまでスタートに過ぎない。
まずはチームを勝たせる選手に
地に足つけて成長曲線を思い描く
そのためのロードマップも描けている。
「自分はまだまだ甘いところがたくさんあると思う」と自らに矢印を向けながら、「まずは国士館大学に貢献できるように頑張りたい」。1年時からレギュラーとして出場しており、国士舘大での1部昇格は印象深かったという。
「一番はチームを勝たせたい」。ケガから復帰し、まずは関東大学リーグで勝利に導く絶対的な司令塔となりたい考えだ。

そして、故郷への愛着も胸に秘める。
春富中時代には、VC長野トライデンツのホームゲームで始球式を務めたことがあるという。トップリーグの舞台に目を輝かせ、現在は現実的な目標としてSVリーグ入りを見据える。
「(長野県には)お世話になった。プロになって恩返しをしたい」
「産んでくれてありがとう、です。星がキレイなので、夜景とかもすごく好き」
そう話し、生まれ育った故郷に思いを馳せる竹松。2つのアルプスに挟まれた伊那谷から、スターダムを駆け上がる。
