選手ストーリー

AC長野パルセイロ・レディース

伊藤 めぐみ

JFAアカデミー福島で中高の6年間を過ごし、年代別代表も経験した。国内屈指の環境に身を置いて気付いたのは、「自分だけのリズム」。高卒でAC長野パルセイロ・レディースに所属して4年目となり、昨季からはキャプテンを務める。諏訪湖のほとりから始まった物語は今、湖面のように静かな律動で編まれている。

文:田中 紘夢

エリート街道を疾走しつつ 得た「気付き」

150cmと小柄ながら競り負けず、人一倍走ってゴールも決める。伊藤めぐみは、まさにチームを牽引する存在。生まれ育った地でシンボリックなプレーヤーとして、長野Uスタジアムでピッチを奔走する。

高卒でAC長野に加入して4年目。「まだまだ下積みしているような感覚はある。周りとは少し違う道になっているけど、自分の中では進んでいると思う」。そう話すだけの境地に至ったのは、故郷を離れてハイレベルな水準に身を浸したからだった。

3人兄妹の末っ子として生まれ、2人の兄が所属していた諏訪FCに入団。その当時から、男子を圧倒するほどずば抜けた存在感だったという。諏訪湖からほど近く、諏訪中央スポーツ公園が練習拠点。暖色の夜間照明を浴びながら、土のグラウンドでボールを追いかけた。

普段は男女混合で練習に励みながら、女子の大会となれば「諏訪FCスワン」の名称で試合に出場。そのメンバー集めに一役を買ったのが伊藤で、小学校の同級生を巻き込んでいった。

(左から)伊藤めぐみ、瀧澤千聖、伊藤有里彩。全員が諏訪FCスワンでプレーした

のちにAC長野でチームメイトとなる伊藤有里彩と瀧澤千聖(現サンフレッチェ広島レジーナ)も、彼女に“勧誘”されたメンバーだ。伊藤有里彩は兄が諏訪FCに所属していた縁もあり、誘いを受けて入団。瀧澤は所属する岡谷東部FCに女子チームがないことから、女子のカテゴリーで活動する際は諏訪FCスワンに参加した。

小学校ではナショナルトレセンの北信越メンバーにも選ばれた。中学では隣県の強豪・アルビレックス新潟レディースに目を向けたが、寮がないことから断念。それでも父親の紹介を受け、日本サッカー協会(JFA)の教育機関であるJFAアカデミー福島へ。3段階の選考試験で、164人の中から7人に選ばれた。

12歳にして親元を離れることとなったものの、「寂しさは全くなかった」。

JFAアカデミー福島は、2006年に開校されたエリート教育機関だ。2011年のワールドカップ優勝メンバーを輩出し、今夏のパリ五輪にも多数のOGが出場。シンデレラガールとして脚光を浴びた18歳・谷川萌々子(ローゼンゴード)も、2月に卒校したばかりだ。

女子選手としては長野県から初めて同校に進学。当時のニュースでは「なでしこジャパンに入って背番号11を付けたい」と話していたが、ただ「11番」という数字を好んでいただけで、特に憧れていた選手がいるわけではなかったという。

JFAアカデミーは東日本大震災の影響で静岡県御殿場市に移転しており、伊藤も富士山のふもとに身を移すこととなった。国内3部相当のチャレンジリーグに出場。中学生ながら社会人を相手として戦ったが、中高一貫のため高校生に交ざってプレーする機会も多く、差を感じることはなかったようだ。

中学1年でJFAエリートプログラムのメンバーに選出。将来の日本代表を育成する場に身を置き、小学校時代から憧れていたなでしこジャパンも雲の上の存在ではなかった。その後も年代別代表に名を連ね、同世代のトップレベルと切磋琢磨してきた。

しかしそれと同時に、“壁”にも直面する。

「代表では自分の特徴も知られていないし、相手の特徴も知らない。チームではできていたとしても、普段一緒にやっていない選手と少ない日数を過ごすとなると難しかった。回数を重ねるごとに『自分はまだまだだ』と感じて、自信も失っていった」

年代別代表は、いわばトップオブトップのエリートが集う世界。全国から集った猛者たちが将来的なA代表入りを目指し、「我こそは」とアピールに精を出す。それは伊藤も例外ではなかったが、周囲と比べれば「自分を出すのが苦手だった」という。

伊藤によれば、パリ五輪に出場した藤野あおば(マンチェスター・シティ)も性格自体は控えめだったという。それでもドリブラーという性質もあり、ボールを持てば自分を表現する。それに比べると伊藤はパサーであり、周囲との関係性があって初めて生きる。互いの特徴を知らない中でプレーを表現することは、自身にとって決して低くないハードルだったようだ。

親元を離れて過ごした、中高の6年間。恵まれた環境下で心技体とも成長はしたが、それ以上に「自分だけのリズム」が生まれ始めた。周囲とは違う、自らの進む道だ。

それでも高校3年時には10番を背負い、キャプテンも託された。チャレンジリーグEASTで初優勝し、WEST王者・アンジュヴィオレ広島との順位決定戦も制して完全優勝。コロナ禍で開幕が遅れた中でも、チームを束ねて頂点に導いた。そして次の道筋が見えてくる。

JFAアカデミー福島には、在学中に特別指定選手としてなでしこ1部(当時は国内1部相当)でプレーする選手もいた。伊藤もなでしこリーグ入りを志望していた中で、卒校する2021年に日本初の女子プロサッカーリーグ「WEリーグ」が開幕。城和怜奈(ジェフ千葉レディース)、沼尾圭都(元アルビレックス新潟レディース)とともに内定をつかみ、プロサッカー選手としてのキャリアが始まった。

AC長野は、ちふれASエルフェン埼玉とともになでしこ2部からの参入。リーグ全体を見れば11チーム中7チームが1部からの参入(残り2チームは新設)であり、いわばチャレンジャーの立場だ。より高いレベルでプレーしたい思いもありながら、「それだけできる自信はなかったし、声がかかっただけでもありがたかった」。

自身にとっては地元のクラブだが、身近な存在ではなかった。AC長野の拠点である長野市から伊藤が生まれ育った諏訪市までは、上信越道と長野道、中央道を経て100kmほどの距離がある。地理的にも盛り上がり的にも、同じサッカーで言えばむしろ松本山雅FCのほうが親しみはあった。

AC長野パルセイロ・レディースという名を初めて耳にしたのは2014年、小学6年生のときだ。JFAアカデミー福島のセレクションに合格したのち、テレビ番組の企画で、エースの元日本代表FW横山久美にプレー映像を見てもらう機会があった。

ちなみに当時のAC長野はチャレンジリーグに所属しており、伊藤が翌年進学するJFAアカデミー福島と同じカテゴリー。しかし、AC長野は翌年から新設されたなでしこ2部に参入したため、横山と対戦することはかなわなかった。

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地元でプロデビュー 21歳にして主将に

7年ぶりの長野県に籍を移し、諏訪FCスワンの先輩である伊藤有里彩、瀧澤千聖とも再会を遂げた。WEリーグに参入したとはいえ、なでしこ2部時代を知るメンバーが中心。伊藤にとってみれば、クラブを知るきっかけとなった横山もいなければ、トップレベルで名を馳せている選手もいない。

それでも地元出身選手としてプレーできることに価値を覚え、期待を膨らませた。

「自分をアピールする上で、『長野県出身だ』と言えることは大きい。それを聞いた地元の方々はやっぱり反応が違うし、興味を持ってくれる。それは素直にうれしいし、自分にとって強みでもあると思う」

高卒1年目ながら、プレシーズンマッチからボランチでレギュラーを奪取。アルビレックス新潟レディースとの開幕戦にも先発出場し、記念すべき初勝利に貢献した。即戦力としての実力を示していたが、本人からすれば「正直、試合に出られるレベルではなかった。試合に出たくもなかった」と苦笑いを浮かべる。

「WEリーグの選手たちはプレッシャーが速いので、それに全然間に合わなくて。出させてもらっていたのに失礼だけど、『ボールが来るな』と思うくらい受けるのが怖かった。『なんで試合に出られるんだろう…』とずっと思いながらやっていた」

高校時代もチャレンジリーグの社会人チームと対戦する経験はあった。それと比べればプロの世界はレベルも高いだろうが、それ以前に「何が怖いのかも分からなかった」。高卒選手として、地元出身選手として、あるいはプロの選手として戦うことに、見えない重圧を感じていたのかもしれない。

150cmとひときわ小柄だが、体格差を感じたことは「一度もない」。むしろ周囲からいじられるようになって初めて「自分ってこんなに小さいんだ」と自覚したという。しかし試合では中盤で競り負けることはさほどなく、むしろボール奪取からカウンターの起点にもなる。「そこで負けていたら身長を言い訳にされてしまう」という意地も見せつつ、小柄ゆえの機敏さもプレーに生かしている。

1年目から中心選手として活躍し、2年目にはWEリーグ初ゴールを記録する。そして3年目となった昨季は、廣瀬龍監督のもとでキャプテンに抜擢された。名実ともに地元を代表するプレーヤーになった。

キャプテンに任命された当時は21歳。就任直後の廣瀬監督から指名される形となったが、その際は「想像していなかった」と驚きの表情を浮かべていた。新指揮官はなぜ、若き司令塔に重役を託したのか。その理由を明かす。

「何週間かトレーニングを見ている中で、力量を持っていると感じた。経験者はいろいろとコミュニケーションを取ってくれるけど、若い選手はなかなかものを言う人がいない。そこで実力のある伊藤を若手の先導者にしたかった」

実力はある程度把握できても、人柄までは短期間ではつかみ切れない。それでも信頼を置いたのは、JFAアカデミー福島の山口隆文監督から太鼓判を押されたからだ。廣瀬監督にとって山口監督は現役時代、東京都選抜でともにプレーした戦友でもある。

2人の教え子となった伊藤からすれば「そっくりというわけでもないけど、重なる部分は感じる。(廣瀬)龍さんだから『キャプテンをやろう』と思えたところもある」。高校時代もキャプテンを務めていたが、プロ集団のリーダーとなれば責任も重大。チームメイトの多くは年上で、何かを要求するのも簡単ではないだろう。

ましてや、昨季はチームとしても苦境が続いた。前半戦は格上に健闘する試合も多かったが、後半戦にかけて失速。12試合未勝利と泥沼に陥り、終わってみれば12チーム中11位と過去最低順位に終わった。「みんなになんて声をかければいいのか」。悩んだ時期もあったという。

しかしキャプテンとして2季目を迎える今季は、頼もしい経験者の力も借りられる。大宮アルディージャVENTUSから加わった坂井優紀だ。なでしこジャパン歴を持つ35歳のセンターバック。明るい性格で後輩の面倒見もよく、「経験してきたことを伝えてくれるのですごく助かる」とうなずく。

「良い意味でも悪い意味でもちょっと怖がられたり、声をかけられたら引き締まるくらいの存在でいたい。チームが明るくできている中でも、サッカーの本質が雰囲気に流されないように――。うまくいっている中でも『これができていない』とか、『まだまだ足りない』という声かけができる選手でありたい」

リーダーは発する言葉に説得力を持たせるためにも、個人としても結果が求められる。その観点からすると、昨季は期待に応える活躍ぶりが光った。

チームトップの7ゴール。1年目は無得点、2年目は2ゴールに終わっただけに、自身の中でも驚きはあったようだ。ボランチからトップ下に移行したことも大きかったが、「ポジションがどこであれ、点を決めたいという気持ちは忘れてはいけない。そこはみんなにも言っていきたい」。攻守両面で存在感が際立ち、チームMVPとも言える活躍ぶりだった。

他人軸ではなく「自分軸」 一歩ずつ進む

そして今季。揺るがない指揮官への信頼を口にし、リスタートを切る。昨季は順位だけを見れば低迷したものの、「(廣瀬)龍さんがやってきたことは間違っていなかったと思う。自分をキャプテンに選んでくれた監督でもあるので、今季も一緒に頑張りたいという気持ちがあった」と明かす。

だからこそシーズン終了から2週間後、比較的早いタイミングで残留を発表。サポーターからは安堵の声も聞かれた。

しかし中学から日の丸を背負ってきた伊藤にとって、当時の理想像と現在地にはギャップもあるのではないか――。そう問うと、彼女は表情を曇らせることなく答えた。

「もちろん中1のときは『やってやるぞ』という気持ちでいた。そこからカテゴリー別の代表で活動したり、皇后杯でなでしこ1部のチームと戦ったり。いろいろと過ごしていく中で、同じ世代の選手たちがどんどんステップアップしているのを見て、自分は『違うな』と高校生くらいから感じていた」

一例として挙げたのは、藤野あおばだ。日テレ・東京ヴェルディベレーザ(東京NB)の育成組織から十文字高(東京)に進み、3年の夏に特別指定選手として東京NBへ。高校在学中にWEリーグデビューを飾ると、翌年にはなでしこジャパンに初選出された。ワールドカップで同代表史上最年少ゴールを決めれば、今夏にはパリオリンピックでも活躍し、大会後に海外移籍も決まった。

スターダムを駆け上がった藤野も、年代別代表では伊藤とチームメイト。伊藤の『違う』という言葉は、それぞれが選ぶ道を否定するわけではなく、「自身の道筋ではない」という意味合いだ。他人は他人、自分は自分。現実を踏まえて歩みを進めてきた。

決して牙を折られたわけではない。
その口ぶりに、無念さも嫉妬も感じさせない。
そう。今は自分だけのリズムで進めばいい。

その過程において、なでしこジャパンへの思いも良い意味で薄れていったという。それは夢を諦めたわけではなく、「自分のタイミング、自分の進み方で頑張っていきたいという気持ちのほうが大きい」。エリート街道を突き進んだのは過去の話。今は這い上がる立場であり、チームのスタイルからしても泥くささが求められる。

パリ五輪には藤野をはじめ、JFAアカデミーの後輩である石川璃音(三菱重工浦和レッズレディース)や谷川萌々子も出場。気心の知れた面々が出場する中でも、自身と比較することはなく、純粋に応援する気持ちが強かったという。

今季で22歳、まだ大学4年生と同じ年齢だ。キャプテンとしては2季目。昨季の成績を踏まえても、不安がないと言えば嘘になる。「チームが悪くなったときにキャプテンとしてどう行動できるか。龍さん任せになるんじゃなくて、上の人たちの力も借りながら、どうにか変えられるようにしたい」と話す。

他人は他人、自分は自分――。

なでしこジャパンでプレーできる選手は少数だ。しかし生まれ育った土地のトップチームで、キャプテンを託される選手も決して多くはない。オレンジ色に囲まれた長野Uスタジアムが、今は輝くべきホーム。自分だけの場所で、自分だけのリズムで、小さな巨人は今日もひた走る。

PROFILE
伊藤 めぐみ(いとう・めぐみ) 2002年4月7日生まれ、長野県諏訪市出身。同市四賀小時代は諏訪FCの女子チーム「スワン」などでプレーし、ナショナルトレセン北信越にも選ばれた。合格率4.3%の難関を突破してJFAアカデミーへ。中高6年間を静岡県御殿場市で過ごし、年代別日本代表を経験した。20年から長野に在籍し、21年にはU-19日本代表候補。2023-24シーズンはキャプテンを務め、キャリアハイの7ゴールを挙げた。150cm、47kg。


 

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