【Fan essay】この街と一つになる劇場・アルウィン by 安曇野1年生のあかりん

誰しも「初めての観戦体験」は存在する。会場周辺の笑顔にあふれた祝祭感も、コンコースからスタジアムやアリーナに入った瞬間の非日常感も、全てが瑞々しく映るものだろう。今回は、2025年4月に一家で長野県にIターンしてきた「安曇野1年生のあかりん」こと神谷朱莉さんに、初めて松本山雅FCを観戦した記憶を綴ってもらった。北アルプスの伏流水のように清冽で、春の陽だまりのようにあたたかい体験記をご覧あれ。
文:神谷 朱莉
(@akarin_azumino)
写真提供:松本山雅FC
編集:大枝 令
初めてアルウィンに足を踏み入れたその時――。
緑のフラッグが一斉に舞い、スタジアム全体が燃え上がるようなチャントに包まれていた。まだ試合は始まっていないのに、これほどの熱気が渦巻いているなんて想像もしなかった。
私はその熱気から少し離れた席で、声も出せずにただその光景を前に立ち尽くしていた。

胸の奥がぎゅっと熱くなった。
涙が出そうになった。
この涙が何の涙なのか、その時はまだ分からなかった。

けれど、その理由はきっと――あの日にさかのぼる。
2020年。
私はX(旧Twitter)で「安曇野に住みたいあかりん」と名乗りながら、まだ見ぬ信州での暮らしに思いを馳せていた。
安曇野のこと、信州のこと、四季折々の風景や、移住のリアルを教えてくれる方々に出会い、「この土地に暮らしたい」という思いが少しずつ輪郭を持ちはじめていた。
そんな中、自然と目に入ってきたのが、松本山雅FCの存在だった。

熱心に応援するフォロワーさんの投稿。
昇格できなかった日のタイムラインの荒れよう。
試合に勝った日の高揚感――。
どれも、単なる“サッカーの応援”ではない空気を感じた。スマホの画面を眺めながら、不思議なほどに気になる存在になっていた。
「いつか安曇野に移住できたら、アルウィンで試合を観てみたい」
ほんの小さな思いが、心のどこかにずっと残っていた。
そして2025年の春。
私は安曇野に移住し、「安曇野1年生のあかりん」と名前を変えて、この土地での暮らしを始めた。
引っ越しも落ち着き、ようやく春らしい陽気が続くようになったある週末。「GW、松本山雅vsツエーゲン金沢の試合がアルウィンで行われる」と何気なく目にしたSNSの投稿が、胸の奥にそっと火を灯した。
「今なら、行けるかもしれない」
思い立ったら早かった。不安なことはXで相談し準備万端。気がつけばアルウィンへ向かっていた。
新しい街に引っ越したばかりの自分にとって、それは“観戦”というより、「この土地のことを知りたい」という感覚に近かった。

シャトルバスを降りると、初めて見るアルウィンが目の前に現れた。
少し肌寒い信州の風が、緑の鯉のぼりを揺らしている。
でも、その周りに広がる空気は、不思議なほど温かかった。

ユニフォームを着た人たちが連れ立って歩き、屋台の前には長い列。小さな子どもが消防車の前を駆け回り、大人たちはビール片手に笑い合っている。
“観戦”という行為の周りには、すでにたくさんの「街の笑顔」があった。

チケットを手に、アルウィンの中へと足を踏み入れる。
入口をくぐった瞬間、視界がふわりと開けた。
思っていたよりもずっと大きくて、眩しいほどに美しい緑のピッチが広がっていた。
その背後には、空の青に溶け込むように北アルプスが高々と連なり、緑と青がくっきりと映える、アルウィン内の風景が広がっていた。

思わず立ち止まる。
この景色が、スマホの中で見ていた“あの場所”なのだと、やっと実感が追いついてくる。
席につくと、遠く聞こえていたチャントがすぐ近くに響いてきた。
すでに多くの人が手を叩き、声を重ね、フラッグが高々と舞っていた。
スタジアム全体が、燃え上がるような熱気に包まれていた。

まだ試合は始まっていない。
けれど、もう心はいっぱいだった。
初めて目にしたアルウィンの様子に目の奥がじんわりと熱くなっていた。
あふれそうな涙をこらえながら、私はただ揺れる緑の旗とピッチを見つめていた。

15:02 キックオフ。
サッカー観戦が初めての私は、ホイッスルが鳴る前から、ドキドキとワクワクが止まらなかった。
最初はどこを見ればいいのかも分からず、ボールの動きをただ必死に追いかける。
相手チームがボールを奪って山雅のゴールに近づくと、思わず目を覆いたくなった。
けれどその横で、ゴール裏や周りのサポーターたちはずっと歌い続けていた。
声をからし、手を叩き、飛び跳ねながら、選手たちに声援を送り続けていた。

ボールを奪われたときも、攻め込まれてコーナーキックを与えたときも。彼らはいつだって前を向いて、全力で声援を送っていた。
「これは、ただの応援じゃない」
「彼らは、選手と一緒に本気で戦っているんだ…」
そう、心から感じた。

そして選手たちも、その応援に応えるように、体ごとぶつけるような全力プレーを見せていた。
ゴール裏の応援を見つめているうちに、気がつけばその向こうに、街の姿がじんわりと重なって見えていた。
声が、応援が、スタジアムの壁を越えて街に届いている。
いや、違う。
街全体が、チームと一緒に戦っている――そんな感覚だった。

29分。ついに松本山雅が先制ゴールを決めた。
一瞬、何が起きたのか分からなかった。
でも次の瞬間、スタジアム全体が揺れるような大歓声に包まれた。
タオルがぐるぐると回り、いくつもの大きな旗が波のように揺れている。
私も思わず両手をあげて、「やった〜〜〜!」と声を上げていた。

これまでサッカーに興味がなかった私が、名前も知らなかった選手たちの一瞬に、こんなにも感情を動かされるなんて。自分でも驚いていた。
そしてあの一体感。
選手、サポーター、そして街までもが、ひとつになったような最高の時間だった。
その後、前半で1点を返され、試合は振り出しに戻る。
迎えた後半。山雅がもう1点を奪い返し、再びスタジアムが沸いた。

そして終盤。体力的にもきっと苦しいはずなのに、それでも粘り強く走り続ける選手たちの姿を目にした。
「ああ、この人たちは、チームのため、応援する人のため、そして本気でこの街のために戦っているんだ」
そう思わずにはいらなかった。
全力で戦う山雅の選手たちにも、私は心を強く惹きつけられていた。

最後のホイッスルが鳴った瞬間、体の力がふっと抜けた。
そして、じわじわとこみ上げてきたのは、ただただ、うれしさだった。
試合を終えて、スタジアムの外に出たとき。残っていたのは勝利の余韻と、胸いっぱいのあたたかさだった。
感じていたのは、ただひとつ。
この街が、ただただ好きだということ。
もともと憧れて、思いを募らせて、やっとの思いで移住してきた信州。
でもこの日、アルウィンの空気を吸って、この目でピッチを見つめて、声を重ねて応援する中で、その想いがまた一段階深いものへと変わっていった。
「この街の人々だから、松本山雅がある」のか。
「松本山雅があるから、この街の人々がある」のか。

帰りのバスの中。頭でぐるぐると考えていたけれど、答えは見つからない。
でもこの日、私はこのアルウィンでこの街の縮図を見た気がした。
思えば、Xで出会った信州のフォロワーさんたちの温かさも、観戦の前に見かけたたくさんの笑顔も、全部がつながっていたのかもしれない。
暮らしの中にチームがあり、チームの中に街がある。そんなふうに、人と人とがつながっていく風景に、私はまた心を動かされた。
そしてようやく、あのとき浮かべた涙の理由が分かった気がする。
それは、「アルウィン」を感じた嬉しさでもあり、「サポーターの熱い応援」への感動でもあった。
でもたぶん、いちばん大きかったのは、
「この街の素晴らしさ」に気づいたこと。
街がひとつになって応援していること。
この街には皆をまるごと受け入れるような、心の温かさがあること。
そして、人と人とが同じ志を持ち、深いつながりで支え合っていること――。
それらが、この日のアルウィンには確かに存在していた。
観戦をしていたつもりが、
いつの間にか私はこの街に、熱に、暮らしに、魅了されていた。
「また来よう」
そう心の奥でそっとつぶやきながら、
私もこの街の一部になれたような気がして、アルウィンをあとにした。
クラブ公式サイト
https://www.yamaga-fc.com/