【Farewell-column】不撓不屈のフランチャイズ・プレーヤー 信州BW・三ツ井利也

バスケットボールの2024-25シーズンが全て終了し、信州ブレイブウォリアーズからも退団者が発表され始めた。本企画はチームを去る選手・スタッフに敬意を表し、その働きぶりやチームに遺した財産などを改めて記録するもの。第5回は、チーム最古参9年目だった背番号31・三ツ井利也にスポットを当てる。
文:芋川 史貴/編集:大枝 令
その存在が「信州」そのもの
“エースキラー”の地位を確立
その存在が、「信州」そのものだった。
篠ノ井東中から東海大三高(現東海大諏訪)に進み、東海大を経て4年時に特別指定選手として信州にやってきて、黄色と紺のスピリットに身を浸してきた。
2016-17シーズンから今季で9シーズン。唯一の長野県出身選手として、多くの期待を一身に受けてきた。

PROFILE
三ツ井 利也(みつい・かずや) 1994年6月2日生まれ、長野市出身。通明小4年生の時に篠ノ井ミニバスで競技を始め、6年時には全国大会に出場。篠ノ井東中では2年時から主力として起用され、都道府県対抗ジュニア大会の県選抜にも選ばれた。高校は東海大三(現東海大諏訪)に進学。1年時はインターハイ4強とウインターカップ8強。3年時には国体少年男子で準優勝。いずれも県勢過去最高の成績を収めた。関東1部の東海大を経て2016年、信州ブレイブウォリアーズの特別指定選手に。卒業後から9年間在籍したチーム最古参で、唯一の県出身選手。190cm、95kg。
入団当初は今よりもディフェンスに特化した選手だったわけではない。
潮目が変わったのは入団3シーズン目、勝久HCと出会ってからだ。
入野貴幸-陸川章という東海閥の系譜で培った「泥くさいプレーこそ全力で取り組む」という姿勢は、勝久HCのバスケットには必要不可欠な要素。さらにディフェンスに重きを置く指揮官の指導が噛み合う。

相手エースを止めるエースキラーとして、ディフェンスの腕を磨き続けた。壁にぶつかりながら、試行錯誤しながら、現在に繋がる3&Dのスタイルを確立していった。
「その日に初めて来たお客さんもいるかもしれない。その人にとってはその日のプレーが全て。だからいつもベストを出さないといけない」
日々成長、常に全力。それを体現するために、身体のケアにも徹底的に注意を払う。

中学の頃から欠かさずに続けてきたストレッチはケガをしない身体を作り、病気も少ない。その結果、今季はアキ・チェンバースと共に68試合全ての試合に出場した。
試合に備える姿勢も、そして長野県民だということも。それは信州の誇りに他ならなかった。
だからこそ。そんな矢先に訪れた今回のリリースは、衝撃的でもあった。

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30歳の節目で垣間見せた「葛藤」
自身の殻を破ろうと奮闘した日々
とはいえ――だ。
自身のキャリアについては、今季の当初から率直な心境を明かしてくれていた。2024年7月の取材メモを紐解く。
「今のチームで貢献しているのもそうだけど、違う自分を見つけたいという気持ちも持っている。30歳という節目になると、今まで考えてこなかったことを変に考えるようになった」

「今のプレースタイルでも貢献できるという自信はあるけれど、『もっとできるのかな』と思いながら日々葛藤している」
人生の節目でもある30歳。悶々ともしていた。

それでも契約を結んだ三ツ井。やると決めた以上はプロとしてやり抜く半面、さまざまな思いが心に渦巻いてもいた。
「大前提、降格して悔しい思いもあったし、再昇格に向けてこのチームで、チームの一員として成し遂げたいという気持ちはあった」
「だけど、オファーとかも含めていろいろとチームと話した段階で、チームからのオファーと(自分の思いが)少しズレていた部分があったというのが本音」

需要と供給が全てにおいて一致し続けることはもちろん、簡単ではない。大なり小なりフラストレーションは互いにあるのが自然の成り行き。それを吸収し切れるかどうか――が全てだ。
「来シーズンの起用法であったり、『こういうことをやってほしい』と言われたときに、『もっと自分はやれるのにな』って思ってしまったところがあった。『それぐらいしか求められていないんだな…』と思ってしまった」

9年目、フランチャイズプレーヤー。この地で、このクラブで貢献をしたい。ただ、自分の求められている役割は――。そう考えて、葛藤した。
それでも今季はチームにケガ人が多く出た状況もあり、予想よりも多くのプレータイムを得た。攻守にわたって存在感を示した。

レギュラーシーズンのスタッツは平均プレータイム17分29秒、平均得点3.1得点、平均3ポイント成功率は35.3%。いずれも昨季のスタッツを上回った。
プレー面でもドライブの数が増加。自身の殻を破ろうする姿勢が見えた。
だからこそ、来季も継続ではないかと考えていたブースターも多かったのではないだろうか。
気さくで実直な姿勢で魅了する
どの場所でも愛される選手へ
9年間。それはBリーグの歴史と歩調をともにする。
この間、チームや会社は大きく変化を遂げた。
観客数が3桁で当然だった千曲市戸倉体育館の時代を知っている。ことぶきアリーナ千曲、そしてホワイトリングと、チームの成長とともに自身も成長してきた。

時にはフロントスタッフとも意見をぶつけ合い、コート内外で信州ブレイブウォリアーズの成長を考え続けてきた。それはいち選手のスタンスを超え、このクラブとともに生きていく――という不可分の姿勢にも見えた。
それでも三ツ井からすれば、「地元選手だから」とか「生え抜き選手だから」とかは関係ない。そこに自分を求めてくれるチームが存在し、それがたまたま地元の信州だっただけだ。それ以上でも、それ以下でもない。

それでも地元選手として、地元クラブの成長を願い、多くのブースターの心の支えになっていた。三ツ井がきっかけでブースターになった人も多くいるだろう。自身も初めての取材で声をかけてもらった。
飾らずに気さくな人間性と、優しい笑顔。相手チームをも気にかけるスポーツマンシップあふれる姿。それが自然と、相手ブースターすらも虜にした。

退団のコメント。三ツ井は最後に言葉を残した。
「今後はどうなるかわかりませんがこれからの三ツ井利也を見守り、応援していただけると嬉しいです。9年間ありがとうございました!!」
アスリートとしても節目となる30代。これからどのようなキャリアを積むのかはわからない。

それでも三ツ井の愚直な姿勢はどのクラブからも愛され、その地域の子どもたちにとっても大きな影響を与えるはずだ。そして、6月2日でちょうど「31」歳。おそらく、人生でも大きな節目となるのだろう。
――また会える日を楽しみに。最大の感謝を込めて締めくくる。
