信州ダービー直前企画(前)戻ってきた“往年の11” AC長野・要田勇一さん

かつての背番号11が帰ってきた。AC長野パルセイロのアカデミーダイレクターに就任した要田勇一さん。2007年から4年間在籍し、JFL昇格に貢献したストライカーだ。15年ぶりの古巣復帰で、クラブの未来であるアカデミーを託された。その経緯と責務を掘り下げるとともに、3月16日の信州ダービーに向けてOBとしての思いを聞く。
文:田中 紘夢
JFL昇格に導いたストライカー
アカデミーの“転換期”に帰還
「自分にとっては引退した場所でもあるし、長野県のこともすごく気に入っていた。『クラブのために何かできないか』という思いを持って、ここに来た」
その思いは現役時代と変わらない。
2007年、当時J1のジェフユナイテッド千葉から加入。長野エルザSCからAC長野パルセイロに改称されたばかりのタイミングで加わり、「このクラブに大きくなってほしいという期待を持ちながら戦っていた」。
2010年には北信越リーグでの無敗優勝と、全国地域サッカーリーグ決勝大会での準優勝に貢献。クラブをJFL昇格に導き、33歳で現役を引退した。
その後は指導者の道を歩み、ヴィッセル神戸と横浜FCでアカデミーの普及に尽力。2つの古巣に恩返しをしたところで、またもや古巣から声がかかる。長野のアカデミーダイレクターとしてのオファーを受け、迷いながらも就任に至った。
「現場の指導でお話をいただけるのかと思ったら、立場が違ったのですごく悩んだ。いろんな人に相談したけれど、年齢も年齢だし、自分がお世話になった長野県に貢献したいと思っていた」
クラブは今年からアカデミーとスクールを分社化し、一般社団法人として再始動。アカデミーを統括する長として、OBの要田さんに白羽の矢が立った。
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「スタッフもチャレンジが必要」
イビチャ・オシム氏の教えも糧に
神戸では普及部のコーチを担い、横浜FCでは各年代のコーチや監督を歴任。女子トップチームの監督も務めていた。
指導者としての経験は豊富だが、アカデミーダイレクターは役割も異なる。与えられた現場に注力するのではなく、全カテゴリーを俯瞰して見なければいけない立場。クラブの未来を託されるのだから、責任は重大だ。

ましてや神戸や横浜FCと比べれば、環境が整っているとは言いがたい。指導者の数も決して多いわけではないが、その中でも“スタッフワーク”の重要性を説く。
「スタッフには他のクラブとの違いも伝えていきたいし、みんなの意識が変わればガラッと変えられると思う。よく選手たちに『チャレンジしろ』と言うけど、スタッフもチャレンジしないといけない。人数が少ない中でよくやってこられたと思うけど、もっとクラブにパワーを注がないといけない」
これまでは指導者として「選手」に伝える立場だったが、アカデミーダイレクターは「スタッフ」に伝えることも重要。まさに全体を見渡す立場となるが、現役時代の経験を生かせる側面もある。
2004年から3年間、イビチャ・オシム監督率いる千葉でプレー。ルヴァンカップ2連覇にも貢献した。当時は出場機会こそ限られたものの、スーパーサブとして印象的な活躍を見せた。それには、オシム監督の優れたチームマネジメントが起因していたようだ。

PROFILE
要田 勇一(ようだ・ゆういち)1977年6月25日生まれ、兵庫県出身。現役時代はヴィッセル神戸、横浜FC、ジェフユナイテッド千葉などを渡り歩き、J1で25試合4得点、J2で12試合2得点。2007年に当時北信越1部のAC長野パルセイロへ。背番号11を背負ったFWとしてゴールを量産し、JFL昇格に貢献した。その後は33歳で現役を退き、指導者として古巣の神戸と横浜FCに帰還。今年からAC長野のアカデミーダイレクターを務める。
「選手の表情とか疲れ具合を見てメニューを変えたりして、機転が速かった。選手全員をコントロールしていて、出ていない選手のことも吸い上げてくれたので、文句の一つも出なかった」
そこで導き出した答えは、「チームが一つにならないと強くなれない」。アカデミーの選手は総勢100人を超えるが、スタッフとともに全員で同じ方向を目指すのがミッション。トップチームのスタッフとも連携しながら、人材輩出に力を入れる。
かつてダービーで言われた言葉
「松本だけには負けないで」
そのためには、トップチームが憧れの的であり続けなければいけない。
今週末はアウェイで松本山雅FCとの信州ダービー。オレンジの誇りを懸けた戦いだ。
要田氏も現役時代にダービーを経験。当時は互いに北信越リーグ1部に所属していたものの、観客数が6,000人を超えることもあった。
「ダービーはお祭りみたいなところがある。他の対戦相手とは違う熱さだったし、街を歩いていても『松本だけには負けないで』とすごく言われた。自分も全面的に意識していたし、ゴール前のところはバチバチやっていた」
リーグ戦では、加入初年度の2007年から2年連続で決勝点。ダービーの歴史に名を刻んだ。
それから年月が経ち、2021年にはJリーグで信州ダービーが実現。15,000人超えの観衆も訪れるビッグマッチに成長し、感慨深さを口にする。
「お互いのサポーターがすごく増えた印象はある。自分がこうしてクラブに戻ってきて、また一緒のカテゴリーにいるのは縁も感じる。山雅のアカデミーはすごく良い環境がそろっているので、自分たちも負けないように成長していきたい」
松本山雅のトップチームを率いる早川知伸監督は、横浜FCのスタッフとして共闘した同級生。当時から指導者仲間として支え合い、今でも連絡を取り合う仲だという。「彼がああやって監督をやっているのは刺激になるし、自分も与えられた仕事をしっかりこなしたい」と力を込める。
当日は現地で試合を視察予定。「結果が出れば子どもたちにも刺激になるし、あの舞台に立ちたいという気持ちも湧いてくる。僕が現役だったら絶対に負けたくない相手なので、結果を求めて戦ってもらえたら」とエールを送った。

クラブ公式サイト
https://parceiro.co.jp/
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