「次の五輪は出るのが当然」と言い切れる 山口剛史が描く“メダルからの逆算”

2025年12月、カナダ・ケロウナ。ミラノ・コルティナ冬季五輪の出場権を争う最終予選で、男子のSC軽井沢クラブはあと一歩の局面で夢を絶たれた。しかしスキップ山口剛史は無念さを色濃く残しつつも、その後の世界選手権なども含めてシーズンを総括して「力は十分にあると思った」と断言。世界との距離を、この1年でどれだけ詰められたのか――。つねに“メダルへの逆算”から発せられる、熱きカーラーの言葉に耳を傾ける。
文:大枝 令
KINGDOM パートナー
「あと一つ」の無念を糧に
世界選手権でも確かな手応え
2025年12月11日、カナダ・ケロウナ。男子のSC軽井沢クラブは予選リーグを5勝2敗の3位で通過しており、残り2枚の五輪切符のうち、最後の1枚を懸けた出場権決定戦に進んでいた。
しかし、運命の一戦は中国に4-9。第1エンドに先制を許し、追う展開のまま突き放された。アメリカと中国が出場権を手にし、SC軽井沢クラブがひた走ってきた4年間の挑戦は、そこで幕を閉じた。
「4年間かけてやってきたので、すごくショックだった」。山口剛史は率直な言葉で振り返る。手応えはあった。世界を転戦して積み上げてきた感触からも、自分たちの力は十分に通用する――「これはいけるぞ」とさえ思えていた。それでも、あと一歩が届かなかった。

その悔しさを抱えたまま、シーズンは続く。2026年4月、世界選手権の翌週に初開催されたプロリーグ「ロック・リーグ」。世界のトップ60人だけが招かれる舞台に、山口は日本で唯一の男子選手として名を連ねた。同じチームには、冬季五輪金メダルを持つスウェーデン代表のスキップや、2大会連続でメダルを獲ったスコットランドの選手がいた。
世界の頂点と肩を並べて山口が驚いたのは、彼らの惜しみなさだった。技術的な質問をしても、ためらわずに核心を教えてくれる。「強い選手なら本来は隠したいはずなのに、全然そうじゃなかった」。追いつけるならどうぞ――という余裕なのかもしれない。世界の最上層は、想像よりもはるかにオープンマインドな場だったという。

世界が遠い存在でなくなった実感は、結果にも表れていた。4月、アメリカ・オグデンでの世界選手権は5勝7敗。数字こそ過去2回と変わらないが、中身に対する手応えが全く違った。
世界ランキング上位のスコットランドを倒し、中堅国には「勝つべくして勝てた」試合が増えたという。会場は2002年ソルトレイクシティー五輪でカーリングが行われた古い建造物で、氷に霜が降りる難しい環境。それでも、いかにその環境に合わせるか。「上を狙えそうな5勝7敗だった」と山口が振り返るように、敗戦の中にも確かな手応えが残った。
KINGDOM パートナー
技術より、意思疎通の伸びしろ
山口剛史が目を向けた“1分の溝”
世界との距離を詰めるカギは、ショットの精度だけではなかった。今季の男子が大きく変えたのは、カナダ人コーチ、ボブ・アーセルとの意思疎通だ。試合中のタイムアウトはわずか1分。従来はその短い時間を生かし切れず、いつしか感覚のズレが生まれていた。
山口ら選手は答えを求める一方、コーチは現場の選手の判断を先に聞きたい。世界選手権の前に通訳を交えてミーティングを重ね、そのズレを埋めた。「お互いを理解できていなかったと気づいた。それだけで、すごく変わった」

もう一つの課題は、試合運びそのものだ。2点取られそうな場面で、いかに1点に抑えるか。状況に応じたダメージコントロールなどの選択肢に関しては、まだまだ引き出しを増やす余地があるという。
「海外の選手の方が、そういうゲーム運びがうまい」と山口。技術で世界に並びつつある今、勝負を分けるのは戦術と判断の細部、そして大局的なゲーム観ではないか――と見据えている。
横浜の2000人と、広がる裾野
国際舞台を踏んで競争をリード
世界を見据える一方で、足元の手応えも少なからずある。6月の日本選手権は横浜BUNTAIで開催され、決勝の最終日には2,000人近い観客が詰めかけた。
女子にスポットライトが当たりがちなカーリングにおいて、男子への関心を高めたい――という思いが山口の原動力。実際に結果で示したように、チームは確かな成長を見せたという。

フォースの栁澤李空は、世界選手権のショットの個人ランキングで13カ国中3位。リード小泉聡も世界一を狙える位置につけ、若い山本遵はもがきながら次の段階へと手を伸ばす。スキップ2年目となる山口のもとで、それぞれの役割がかみ合ってシナジーを生み始めている。
だからこそ、山口が描く4年後の青写真は明確だ。
「次のオリンピックは、出るのは当然。その舞台でメダルを争う状況まで持っていきたい」

日本男子が世界選手権で予選を突破したのは過去に2回だけで、メダルはまだない。そこに手をかけるために、グランドスラムに出続けるなど「国際舞台の空気」により多く触れることを重要視。その出場枠を安定的に得られる世界ランキング12位以内を狙い、ツアーを転戦してポイントを積み上げていく。
確かに、五輪最終予選では涙をのんだ。だが4年をかけた挑戦の敗北は、目標の基準をひとつ引き上げた。「(五輪に)出るという目標は、4年かけて達成するものではない」。41歳のスキップがロードマップを描く“メダルへの逆算”は、2030年のフランスにまっすぐ伸びている。






















