VC長野トライデンツ
備 一真
チームを勝たせる存在になりたい。そしてもう一度、「あの場所」に戻りたい――。まっすぐに前を見つめ、リベロ備一真はそう語る。華やかな表舞台とは縁遠い、“無印”のキャリアを歩んできた半生。淀みない信念の源泉は、悩みながら歩み続けた道のなかにあった。
文:松元 麻希/編集:大枝 令
“灰かぶりのリベロ”
日陰で育った中高時代
“Man errs so long as he strives.”
人間は努力する限り迷うもの――。
高校のコーチから贈られた言葉だ。出典元は、ゲーテの長編戯曲「ファウスト」だろう。この金言と、「絶対に結果を残す」という決意。その2つだけを胸に秘めて、18歳の備一真は中部国際空港に降り立った。
生まれ育った鹿児島県を出ると決めたのは、当時東海大学1部リーグに昇格して間もない名古屋市の大同大に入るためだった。
試合の出場経験がほぼなかった、鹿児島商高での3年間。しかし大学ではうって変わって、1年時からスタメンとしてリベロを託された。主力として入った試合で勝つ喜びも、この大学時代に初めて経験した。
さらには東海学連選抜にも1年時から選ばれ、レベルの高い環境でバレーボールに打ち込む機会も得た。4年間はモチベーション高くバレーに打ち込み、チームの勝利にも大きく貢献。宣言通り結果を残せる選手へと成長し、いつしかプロの道を志す。
そして現在、プロ契約選手の一人としてVC長野トライデンツに在籍。今季で3年目を迎える。2022-23シーズンはV1でサーブレシーブランキング1位に輝き、チームメイトのセッター下川諒とともに日本代表候補に初選出。パリ五輪の出場こそかなわなかったものの、着実に進化を示した。
一方でチームは白星が遠く、苦境が続く。昨季を終え、下川はサントリーサンバーズ大阪にステップアップ。キャリアを考えれば当然の成り行きだった。しかし備は今季も、VC長野との契約を更新。この決断の真意を理解するためには、これまでのバレーボール人生をたどることが必要となってくる。
鹿児島県鹿児島市。活火山の桜島などで知られる県庁所在地が、備の生まれ故郷だ。バレーボールに出合ったのは小学校2年生のころ。地元チーム・坂元台ジュニアに所属していた3歳上の姉の練習についていき、コーチにボール遊びをしてもらったところから始まった。
当時は男子が少なく、高学年で男子チームが結成されるまでは女子に交ざっていた。女子チームが強かったため、「ここにいれば強くなれるかもしれない」という期待を抱きながら、ただただ純粋にバレーを楽しんでいた。
運動神経がいいほうでは決してなかったといい、背の順で並ぶ際はいつも一番前だった。「小さかったから、レシーブしかできなかった」と謙虚に語るが、これが後に一番の強みとなる。当時高校生だったコーチ陣が放つ速い球を受けていたことも、小学生がレシーブ力を鍛えるには十分な経験だったはずだ。
「とにかく足を動かす」
「ヒザをつかない」
「ボールの質を意識する」
礼儀なども含めて厳しく育てられたことで、現在のキャリアに繋がる土台が形成された。しかし中学に進み、環境は一変する――あまり望ましくない方向へ。
男子バレーボール部の監督は競技未経験者だったうえ、6人のメンバーすら集まらない。満足のいく練習はできなかった。放課後は体育館ではなく、仲間の家や繁華街・天文館に足が向くことも多くなった。バレーを辞めていても不思議ではない時期だった。
それでも備をバレーの世界に繋ぎ留めていたのは、坂元台ジュニアの監督とコーチ陣。仕事の後に時間を見つけ、中学まで来て練習につき合ってくれたという。バレーの楽しさを教え続けてくれた恩師たちとは、現在も連絡を取り合っている。
全国はおろか、県大会すら出られなかった3年間。次なる進路に選んだのは、バレー強豪校として知られていた鹿児島商高だった。その理由は、ともにバレーを続けていた同学年の友人。2022年までVC長野に所属していた、セッター河東祐大(ジェイテクトSTINGS愛知)だ。
ある日、小学校時代から練習試合などを通して交流があった河東に誘われた。「俺、鹿商に行くけど一緒に行かない?」
ふたりの出会いに、印象的なエピソードがある。河東は小学生時代から一目置かれていた存在で、身長も高い方だった。一方で備は同学年のなかでも身長が一番低い。初対面の時、備は河東に「君、何年生?」と言われたのだという。それほど彼我には差があった。
河東はJOC都道府県対抗中学大会の県代表にも選抜されていた。中学時代が不完全燃焼のまま終わった備は河東の誘いを受け、「強い選手がいるなかでバレーをやりたい」と思い立って進学。ちなみに家から徒歩圏内でもあった。
しかし実際に入部してみると、予想以上に厳しい世界だった。同学年に7人で、自分以外の全員が推薦入学者。そのうち5人はJOC経験者。基本的には丸刈りで統一され、入部後3か月は即戦力の選手以外ボールにすら触れなかったという。
備が入部した2013年当時の鹿児島商高は全国常連。14年1月には、現在の日本代表のエース・石川祐希(ペルージャ)擁する星城高(愛知)と春高バレー決勝を戦った。
ちなみに星城高に2年連続3冠を許したこの決勝には河東のほか、2022-23シーズンまでVC長野に在籍したOH池田幸太(ヴォレアス北海道)、2024-25シーズンにVC長野の一員となったOH迫田郭志が、鹿児島商高の選手としてコートに立っていた。
スター選手ぞろいだったため、コートの外から試合を観ることが多かった備。河東ら主力が立派な城山の県木クスノキだとしたら、自身は日陰に息づく名もなき野草。その頭上に、桜島の火山灰が層をなして積もっているかのようだった。
それでも、バレーを辞めたいと本気で思ったことは一度もない。それは「ここにいれば技術を盗める」と思ったからだ。
Bチームを指導することが多かった冨田潤コーチの存在も大きかった。夜遅くまで練習に付き合ってくれ、「すごくいいものを持っているから、もっと自分を出してもいい」「サーブレシーブをやり続ければ武器になる」「大学に行ってからが本当の勝負だ」と、日の目を見ない備を鼓舞し続けた。
そして、高校を卒業するとき。
「人間は努力する限り迷うもの」という言葉を色紙に書いて贈ったのだ。
「僕の横断幕にも入れてもらっていて、ずっと大切にしている言葉。プレーに迷っているときは『努力しているからだ』といい意味で捉えるし、逆にプレーに考えなくなったら『いま僕は努力できているのか』と自問するようになった」
3年時の春高バレーはピンチサーバー。憧れのオレンジコートでブレイクやサービスエースを取ってみせた。一瞬の輝きを垣間見せはしたが、3年間を通じて振り返れば灰をかぶったまま。備の高校バレーは終幕した。
大同大に進む前の時期は、原点の地で「恩返し」。坂元台ジュニアの練習に足を運び、小学生たちにバレーを教えていた。かつての自分が、そうしてバレーの楽しさを知ったのと同じように。
鹿児島を旅立つ日には、その時の教え子が空港まで見送りに来るサプライズ。別れ際には幼い字で「がんばってね」と書かれた手紙を受け取った。子どもたちからの手紙と、高校の監督、コーチ、後輩から贈られた色紙。視界が少しだけ、涙でにじんだ。
名手・青山繁さんの助言
今でもプレーの指針に
初めて故郷を遠く離れ、名古屋の地でバレーと向き合う。大同大は1部とはいえ昇格直後で、チームはまだ成長途上だった。入部当初は「鹿商から来たの!?」と驚かれたほど。備のような環境でバレーをしてきた部員は少なく、どこかサークルに近い気質すらあったという。
しかしそうした中でも、気概を持つ先輩2人に刺激を受けた。一人は高校卒業後に大同特殊鋼レッドスターに入団し、その後イタリアへ渡ってプレーした小林雅也だ。教員免許取得のために28歳で帰国し、備の1学年上でバレー部に所属していた。
もう一人は永井智。高校時代はエースとして星城高とフルセットまで競った経歴があった。他の大学からも誘いを受けた中、工業系の免許を取得するために大同大を選択。二人とも、現在はバレーの指導者としてそれぞれの場所で活動している。
当時のチームを率いていたのは、全日本のデータアナリストなどを歴任した山田雄太監督だ。「技術力のアドバイスには限界があるけど、それ以外のサポートはなんでもする」と、チームの練習環境を整えることに尽力。1992年にバルセロナ五輪に出場し、現中京大監督の青山繁さんに教わる機会を得られたのも、山田監督の計らいだった。
青山さんに受けたアドバイスが今も、サーブレシーブのスキルアップに今も大きく影響している。 “サーブレシーブの名手”と呼ばれる青山さんに守備の秘訣を聞いた際、出てきた言葉は「目線」。相手がサーブを打つ前、ボールを手にして振り返った瞬間。監督からの指示を受けて振り返った瞬間。サーバーの目線は、無意識下で正直なのだという。
相手の目線を観察してある程度のゾーンを絞ると、そこから先は駆け引き。違う場所に立って誘ったり、あえてそこに入って相手の動きを見たり。備いわくV1の中でも、この方法で目線が全く読めなかった選手は「今のところ2人くらいだけ」という。
1年時から先発で活躍する、高校時代とは真逆の日々。備、小林、永井ら一部のメンバーの情熱にほかの部員も刺激を受け、大同大は「勝てるチーム」へと進化していった。これまで一度も経験したことがない、“主力で出た試合で勝つ”ことの喜びも味わった。
このほか印象深かったのは、東海選抜として西日本五学連男女選抜対抗戦に出場したこと。特に1〜2年時は鹿児島商高の先輩リベロ・大浦坂健太も選ばれており、「やっと一緒に試合ができるところまで来られた」と感慨深さを覚えたという。
大浦坂は2学年上の先輩で、2014年の春高バレーで優秀選手賞を受賞するほどのリベロ。練習の際に備は、大浦坂のサーブレシーブをタブレットで動画撮影する役割を任されることもあった。技術習得に飢えていた備はそこで、知恵を働かせた。
練習後にその動画データを自分のスマートフォンに送り、家で何度も見返すなどして研究していたのだ。
大同大を選んだのも、愛知学院大でプレーする大浦坂と同じ東海リーグに行きたいという思いがあったのが理由の一つ。大浦坂はミスが少なく、レシーブ時のフォームが非常に美しかったのだという。「面さえ崩さなければ直接失点することはない」ということを、備は大浦坂から学んでいたのだ。
「V1でやれるかもしれない」
そう思い始めたのは大学3年の後半。2年で東海リーグを優勝し、リベロ賞とサーブレシーブ賞をダブル受賞するなど個人としても実績を残すこともできたからだ。完全に無名選手だった高校時代までとは対照的に、蓄えてきたエネルギーを発散させるかのように台頭。頭上の灰は少しずつ払われ、秘めたる輝きが垣間見えてきた。そこでV1のトライアウトに挑戦したが、3〜4年時ともに落選。甘くはなかった。
長野の“シンデレラ”ボーイ
SVで未知の領域へ
最終的には、大同大と繋がりの強いV2の大同特殊鋼知多レッドスターに入団した。フルタイムで仕事をした後、チームの練習時間は長くても1時間半。「この1年が勝負」と覚悟を決め、寸暇を惜しんで日々を過ごす。
17時に仕事が終わったら、20時からのチーム練習まで大学の練習に2時間参加。バレー漬けのストイックな日々を送りながら、虎視眈々とステップアップの機会を狙った。
その努力が実り、大分三好ヴァイセアドラー(2024年5月に休部)に移籍。国内最高峰のV1に至った。V2とは明らかなレベル差を感じると同時に、自らの武器であるサーブレシーブには手応えも得られた。「V1でも案外通用するな」。午前勤務で午後は練習に充てられたため、強みのレシーブなどを磨き上げた。
そして1年後、念願のプロ契約オファーがVC長野から舞い込む。バレーができる期間は限られているし、チャンスがあるならやってみたい――。それが、率直な気持ちだった。1学年上で、小学校〜高校と同門だった池田幸太と一緒にプレーしたい思いもあり、入団を決めた。
1年目にサーブレシーブ賞を受賞し、同年に日本代表にも選出。事ここに至り、“薩摩の灰かぶりリベロ”は一躍、シンデレラボーイとなった。
選手であれば誰もが目指す、日の丸。そこにもう一度選ばれることも大きな目標となった。競技に向き合う価値観が違うし、バレーIQも段違いに高い。なにより感じたのは、バレーに対する熱量の高さ。「もっとアグレッシブにハードワークしていかないとその舞台にはたどり着けない」と、強く感じた。
特に、長く代表を背負ってきたOH柳田将洋(東京グレートベアーズ)とは、話す機会も多かった。「ボールが動いているなかで声を出すときにはタイミングが重要」と学んだ。リベロならなおさら、先読みして早く声を出さなければならない。こうした競技の奥深さやディティールにこだわる姿勢を、第一線の選手から直々に学んだという。
とはいえ、所属するVC長野は決して強豪ではない。改編されたSVリーグで、並みいるワールドクラスの面々に対してどう伍していけるかも未知数だ。過去のV1を振り返っても、シーズン最多勝利数はわずか5。苦戦は避けられないだろう。
ただ、この状況を備はむしろ楽しむ。「いまの境遇は、大学時代とすごく似ている」。勝てない日々が続くなかで、選手のモチベーションを保つことの難しさ。学生時代までに華々しい結果を残してきた選手がトップリーグに集まるが、自分は決してそうした選手ではない。
だがそんな自分が奮闘する姿を見せることで周囲を巻き込んでいけば、いずれは結果に繋がっていく。陽の当たらない場所で汗を流し続けてきた備は、そのことを誰よりも知っている。
「VC(長野)も多くの選手が仕事をしながらだし、SVリーグで戦うには不利な立場だと思う。だからといって環境のせいにはしたくない。これまでの環境や境遇があったからこそ、いまここで頑張れてもいる。勝てないチームを強くするおもしろさも知っている。それが、僕がこのチームに残った理由」
もちろん、迷わなかったと言えば嘘になる。
でもそれは、努力している証拠でもある。
「人間は努力する限り迷うもの」
だからこそ、信じられる。
正しい場所にいるのだ――と。
来たる新シーズンは迫田郭志、樋口裕希という実力あるOH2人が日本製鉄堺ブレイザーズから加入。迫田は高校時代の先輩で、また共闘する楽しみもある。「長くプロで活躍してきた2人からも吸収してチームに還元できれば、より強いトライデンツになれると思う」。備はそう話しながら、まっすぐに前を向く。
10月に開幕するSVリーグ。外国籍選手のオンザコート枠が従来の1から2に拡大されるなど、競技性を高めるレギュレーションとなっている。SVに参入する他の強豪チームは、世界的に名だたる外国籍選手を引き入れた。
アレクサンデル・シリフカ(ポーランド)はサントリー、トリー・デファルコ(アメリカ)とリカルド・ルカレッリ(ブラジル)はジェイテクト。アラン・ソウザ(ブラジル)とフランチェスコ・レチネ(イタリア)は東レアローズ静岡でプレーする。そのほとんどがパリ五輪でも主力として活躍した。
このほか、大阪ブルテオン(前パナソニックパンサーズ)にはOP西田有志やMB山内晶大、そして同じリベロ山本智大など日本代表がずらり。サントリーには石川との二枚看板・OH髙橋藍が加入した。
問答無用のワールドクラスと、コートで対峙する。中南信地方を背負って、別次元のパワーとスピードを受け止めるのだ。尻込みするどころか、むしろ腕が鳴る。「世界レベルのサーブやスパイクに触れられると思うとワクワクする。常に成長できる環境だし、いまは楽しみしかない」と胸を躍らせる。
本土最南端の地から始まった、小柄なリベロのバレーボール人生。耐えて粘って一気に伸びて、伊那谷から花開こうとしている。今季のVC長野で心血を注ぐことに一切の迷いはなく、きらびやかなコートで輝きを放つ。灰かぶり姫――つまり「シンデレラ」さながらに。
PROFILE
備 一真(そなえ・かずま) 1998年1月6日生まれ、鹿児島県鹿児島市出身。坂元中を経て名門・鹿児島商高へ進学。しかし公式戦の出場はほとんどなく、東海大学1部の大同大で頭角を現した。卒業後はV2大同特殊鋼レッドスターに入団。V1の大分三好ヴァイセアドラーを経て、2022-23シーズンからVC長野でプレーする。同年はV1男子のサーブレシーブ賞(72.2%)に輝いたほか、日本代表にも初選出された。168cm、67kg。ポジションはリベロ。