「松本山雅で一番の選手に」 “青竹のボランチ”松本大学・早河恭哉が内定会見

松本大学で大きく成長したボランチが、プロへの扉を開いた。J3松本山雅FCの来季加入が内定したMF早河恭哉の記者会見が2025年10月3日、松本大学で開かれた。豊富な運動量や速いプレースピードなどを武器とし、丸刈り頭がトレードマークの21歳。好きなサッカーを突き詰めるために努力を惜しまないタイプで、「松本山雅FCで一番になれるような存在になりたい」と力強く決意を述べる。

文:大枝 令

中盤を奔走する小柄なボランチ
呼吸するように自主自律で努力

竹のように、まっすぐ伸びてプロに至った。

タフにシャープに中盤を奔走し、ボールをハントする。セカンドボールを回収する。ボールを持てば相手をはがしたり、縦パスを差し込んだり。練習参加時も松本山雅FCとのトレーニングマッチでも、丸刈りの若きボランチは奮闘が目立った。

172cm、65kg。「自分には才能があまりない。身長も大きくないし、速くもないし強くもない」という通り、上背があるわけでも、恵まれたフィジカルがあるわけでもない。ボランチとしてはむしろ線が細い部類に入る。

そうした不利は、努力で補った。松本大学3年時から肉体改造に着手。食事を1日5回摂るように習慣化し、日々の筋トレも欠かさない。体重は50kg台から65kgまで増加し、少しずつ当たり負けない身体になってきた。

松本大学の齊藤茂監督も、サッカーに向き合う早河の姿勢を手放しで称える。

「筋トレ場にいつもいる。 練習前も練習後も休日も、本当に正月以外はほとんど行ったのかな――というくらい。そういう努力を重ねてきてすごく成長した」

誰かに促されたわけでも、触発されたわけでもない。内発的に、呼吸をするように、苦もなく努力できるタイプ。外からはストイックに見えるが、本人は当たり前のことをしているだけだ。それはおそらく、唯一無二の才能だろう。

「誰かの話を見たり聞いたりしてやるのは一時的。自分でやるとなったら、自分自身でやらないと絶対に継続できない。まずは自分で習慣化することを考えている」

「負けるのが嫌い。ずっと練習して努力して負けたら仕方ない。でもやらないで負けたら…多分、自分のことを許せなくなる」「松本大学の中で一番努力している自信はある」

PROFILE
早河 恭哉(はやかわ・きょうや) 2004年1月9日生まれ、愛知県出身。FC東郷ジュニア、ジュニアユースを経て中部大第一高(愛知)へ進学。3年時に全国高校選手権に出場した。卒業後は松本大でプレー。2〜3年時には北信越リーグのベストイレブン、3年時は総理大臣杯で同校初の8強入りに貢献。4年時にはデンソーカップでプレーオフ選抜に選ばれて優秀選手となり、チームでは副キャプテンを務めた。運動量にすぐれたボランチで、憧れの選手は佐野海舟、遠藤航、チアゴ・アルカンタラ。172cm、65kg。

原動力はサッカーに対する「愛」
スタイルに惹かれて松本大学へ

その原動力は、サッカーに対する無尽蔵の愛だ。

「シンプルにサッカーが好きだからうまくなりたい、ただそれだけ。自分に負けたくない気持ちもあるけれど、一番は楽しいからやっているだけ。別にそれが苦だなんてあまり思わない」

丸刈り頭も手伝って修行僧のようなたたずまい。だが、本人に「苦行」をしている悲壮感はない。

そのスタンスは幼少期から一貫している。当初は地元の保育園に通っていたものの、サッカーを教育に取り入れる幼稚園への転園をせがんだ。「親にワガママを言って、家からは少し遠かったけど通わせてもらった」。

野球経験者の父親は用具を取りそろえていたが、幼い早河が自主的にそれらを手にすることは少なかった。サッカーボールとカラーコーンを持ち出し、家の前の公園でひたすらボールを蹴っていたという。

愛知県東郷町出身。地元のクラブチームで小中学生時代を過ごし、高校は中部大第一高へ進学した。自宅から近かったのと、元名古屋グランパスGKの伊藤裕二氏が監督を務めていたのが大きな理由だった。

高円宮杯U-18リーグは愛知県3部所属だったが、3年時には全国高校サッカー選手権に出場する下克上を達成。「県3部から全国へ――というのがみんなの口癖で、楽しくワイワイやっていた」と振り返る。

そして松本大学と練習試合をした際、そのスタイルに惹かれた。

「すごく面白いサッカーをしていて、自分にフィットしていて、ここのチームで戦いたいと思った」。当時の松本大は全国で目立った成績を残していたわけではないが、迷わず新進校の門を叩いた。

「関東に行く選択肢が一番プロに近い可能性があるけれど、そこで埋もれる可能性もある。(身体の)線が細いので、フィジカルより技術で戦う松本大学のようなサッカーの方が自分に向いていると思った」

その練習試合の際、松本大学の齊藤監督も早河に目をつけた。

「他の選手たちが『大学生(が相手)だから仕方ない』と諦めムードのようになっている中、一人だけものすごく悔しがっている選手がいた」。それが早河だった。もちろんプレーの面でも、「他人に持っていないものを持っている」と見立てた。

こうして、相思相愛で松本大学への進学が決まった。

松本大学の環境で飛躍的に成長
サポーターが決め手で松本山雅へ

「松本大学サッカー部の良さは、すごく個人を尊重してくれること」と早河。闊達な気風と環境は、当たり前のように努力する早河にはうってつけだった。

「チームも大事だけれどもまずは個人として見てくれて、自分の成長のためにいろいろアドバイスしてくれた。自分にはすごく合った指導をしてくれるので、自分は小中高大合わせて一番大学が成長できたと思っている」

当初はBチームからのスタート。1年時の4年生には、のちに松本大学初のJリーグ加入者となるMF濱名真央(元松本山雅FC)とMF青木安里磨(元AC長野パルセイロ)が在籍しており、「正直、自分でも『勝てない』とわかっていた」。

そこでポジションを1列下げ、ボランチで勝負することを決断。1年目の後期から頭角を現し、2年時からは主力を務める。北信越大学リーグでは2年連続でベストイレブンに選ばれ、2年時にはアシスト王となった。

3年時には総理大臣杯で国士舘大学を破り、初のベスト8入りに大きく貢献。4年時にはデンソーカップチャレンジサッカーの北信越選抜とプレーオフ選抜に選ばれ、大会の優秀選手にも名を連ねた。

もちろん、肉体改造だけでなくスキル面でも努力を続けた。「松本大学の環境の良さは、グラウンドとかも自由に使えること」と早河。高校からの後輩と一緒に、昼も夜もなく自主練習に打ち込む。

そうして目立つ存在になり、複数オファーの中から松本山雅FCを選んだ。

「松本山雅さんのホームの試合に運営とかで何度か行った時に、サポーターの応援がすごかった。『ここでプレーして応援してもらいたい』と思ったのが大きい」

「まずは試合に出て結果で示したいし、サポーターの皆さんに愛されるような選手になって、『アイツのプレーを見に行きたいな』と思ってもらえるような選手になりたい」

記者会見の終了後。クラブスタッフが渡した色紙に、「山雅ナンバーワン選手」としたためた。来年のチーム編成がどうであれ、おそらくは後方からのスタート。それでもこれまでの歩みと同じく、息をするような不断の努力で躍進を狙う。


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