早川知伸ヘッドコーチが新監督に 人物評は“真面目”“規律を重んじる”
松本山雅FCの2025年シーズンの監督に、早川知伸氏が就任することが19日、発表された。23年からの2年間は霜田正浩監督のもとでヘッドコーチを務め、主に守備面などを担当。近日中に就任記者会見が予定されており、その場で来季のロードマップが示されるだろう。ここではヘッドコーチ就任当時のコメントや関わりの深い人物への取材などを通じ、人物像の一端を紹介する。
文:大枝 令
PROFILE
早川知伸(はやかわ・とものぶ)1977年7月11日生まれ、静岡県出身。清水商高から順天堂大に進み、卒業後は2000年の浦和レッズからプロのキャリアをスタートさせた。2003年以降は、ジェフユナイテッド千葉に期限付き移籍した半年間を除いて横浜FCでプレー。主にセンターバックを務めた。引退1年目の2011年から22年までは横浜FCに在籍。ユースコーチ、ジュニアユース監督、トップチームコーチ、ユース監督などを経て21年4月、シーズン途中でトップチームの監督に就任した。翌22年はトップチームのコーチとなり、四方田修平監督を補佐してJ1復帰に導いた。23年から松本山雅FCのヘッドコーチ。
実直な人柄で規律を重んじ
プレー強度や走力への意識も
2003年から22年まで、半年間を除いて横浜FC一筋。21年にはトップチーム監督を務めた経歴を持つ。そのシーズンはJ2降格となってしまったが、翌22年はコーチとして再昇格に貢献した。
そして昨季、初めてそれ以外のクラブとして松本山雅FCへ。霜田正浩監督に誘われ、覚悟を胸に山雅のエンブレムをつけた。
23年1月7日。
就任会見に臨んだ際に、こんなコメントを残している。
「まず私は20年間横浜FCに所属しており、選手としてもコーチとしても監督としても経験させていただいた。その経験を十分にこのクラブで出していきたいと思っているし、本当に覚悟を持ってこのクラブに来る決断をした」
「本来であれば2021シーズンの時点で監督をやった瞬間から去らないといけないという考えでいた。その中で新たなクラブに行く際、まずお声をかけてくれた霜田監督の『一緒に仕事をしよう』という言葉から、一緒にやりたいという思いだけで今回の決断に至った」
それから2シーズン。
松本山雅のチャレンジを、ヘッドコーチとして支えてきた。
今季は特にシーズン途中から、「強度」や「走り」に対する発信が増えたという。関係者の話を総合しても、その部分に対する問題意識はありそうだ。サッカー観については会見での発信を待ちたいが、2年間の苦楽を知る立場からの昇格。スクラップ&ビルドではなく、基本路線の継続・積み上げを狙っての人選とみられる。
その中で新たなエッセンスをどれだけ加えられるか。2年間ともに戦った選手の一人によると、チーム内の規律順守や練習態度などに対する厳格さを持つという。もちろん誰しも好みや偏りは存在するものだが、マネジメント面で選手相互に納得度の高い起用に期待したい。
口数は決して多くないが、実直で真面目――というのが、人物を知る人々の一致した見解。「観察力があって、見ていないようで実は状況をよく見ている」と話す者もいる。少なくとも直近2年間のコーチ時代は選手と近付きすぎず、一定の距離感を保っていた。
現場における「最終決断者」である監督の立場になれば、アプローチやスタイルを変える可能性は十分にあるだろう。それでも、人柄は一朝一夕には変わりにくい。実直なカラーをチームに乗り移らせることができれば、従来のスタイルに「やり切る力」を加えたチームに進化できる可能性はある。
あとは右腕となるヘッドコーチを含め、コーチングスタッフの人選が急がれる。下條佳明スポーツダイレクターの報道対応などを総合すると、継続と退任は半々ほどとみられる。J2昇格プレーオフ決勝を終えての初動となったため遅れは否めないものの、新監督を十分にサポートできる体制を整えるのが急務だ。