4年目に芽吹いた“大樹の若木” 190cmのDF二ノ宮慈洋が歩んだ苦難の日々

暗い土の中で、ひたすら光を求め続けた。J3リーグ松本山雅FCのセンターバック二ノ宮慈洋。高卒3年目まではほとんど出番がなかったが、4年目の今季はルヴァンカップを弾みとしてリーグ戦初先発に抜擢された。2025年4月13日のJ3第9節カマタマーレ讃岐戦。3バックの真ん中でクリーンシートの勝利に貢献した。長い長い冬を越え、ようやく芽吹きの時を迎えた21歳。光の当たる場所で、その成長スピードが加速する。
文:大枝 令
ルヴァンカップでの勝利が契機
喜びと自信がさらなる成長を呼ぶ
サッカー選手であることの喜びを、全身で噛み締めていた。
「サッカー選手になれてよかったというか――。こういうのが毎週あったら最高だろうなと、感慨深さがあった」
3月26日のルヴァンカップ1stステージ1回戦。J2サガン鳥栖を下した一戦で、二ノ宮は延長も含めた120分間を戦い抜いた。延長に入って脚はつったが、そんなことはどうでもよかった。

「つらいというよりは本当に楽しかった。ずっと試合に出られていない中で『こんなに楽しいんだ』と思えた」
相手は後半途中からFWヴィキンタス・スリヴカやFW西川潤、MF松田詠太郎などリーグ戦の主力を投入してギアチェンジ。それでもゴールは破らせず、PKの1点を守り抜いた。

「俺もやれるんだ」
アピールした。早川知伸監督に、そしてサポーターに。同時に、確かな自信も芽生え始めた。
J1アルビレックス新潟を迎えた2回戦も、3バック中央で奮戦した。2失点こそしたものの、自身は及第点のパフォーマンス。プレスに来る相手の逆を取ったり、ボランチにメッセージのあるパスを出したりと堂々たるプレーぶりだった。

PROFILE
二ノ宮 慈洋(にのみや・じよう) 2003年11月10日生まれ、群馬県出身。兄の影響で、4歳からサッカーを始める。中学時代は県内の強豪クラブ・前橋FCに在籍したが、試合出場の機会に恵まれない時期が続いた。自信を得られず前橋育英高などを候補から外し、高崎経済大附属高へ。2年時のトレーニングマッチを松本山雅FCのスカウトが視察し、3年時に2度の練習参加を経て内定が決まった。190cmの高さを生かしてエアバトルを制し、とりわけ攻撃のセットプレーでは得点感覚を持つ。最終ラインからの配球も得意。
そして前節。中3日のリーグ戦でついに先発の座を射止めた。
讃岐のホーム・香川県丸亀市のPikaraスタジアム。ウォーミングアップ開始前の円陣で、自身が口を開いた。國保塁フィジカルコーチのリクエストを受け、その役に指名されたのだ。

「人生を変えるためにこの讃岐に来た。最後にみんなが笑って終われるように、集中して頑張ろう」
松本からすると遠方の部類に入るアウェイだが、移動の疲れなど微塵も感じさせない。
190cmのひときわ大きな身体が、ピッチで軽快に弾んだ。サッカー選手であることの喜びを、全身で表現しているかのように。空中戦の勝率は100%。制空権を掌握した。

肝を冷やす場面も確かにあったものの、クリーンシートで切り抜ける。高卒4年目。リーグ戦初先発で、自らの旗を讃岐のピッチに打ち立てた。
周囲から「水と肥料」をもらい
“兄貴分”高橋祥平の言葉に後押し
第一歩を成功で終えた21歳。
その背景には、有形無形の支えがあった。

まず、同じセンターバックの高橋祥平だ。J1とJ2で401試合に出場したベテラン。二ノ宮は高橋に公私とも可愛がられており、その関係性はチーム内で「師弟」とも言われる。
そして、33歳を迎えてなお衰えぬ闘争心。その高橋と入れ替わるように今回、二ノ宮はスタメン起用された。心中穏やかでないことはもちろん、想像に難くない。当然でさえある。

それでも、二ノ宮を激励した。一緒に食事をしたタイミングで、あるいはシャワールームで。
「お前のやりたいようにやれば、絶対にできるから」
「ルヴァン(カップ)みたいにプレーすれば、全然大丈夫だから」
その言葉の数々が、若きセンターバックに無上の力を吹き込んだ。

「背中を押してくれた。ものすごく自信になった。リーグ戦初スタメンで緊張したけど、祥平さんのその言葉でメンタルが落ち着いた。本当に感謝している」
「本当だったら祥平さんだってベンチ外になって悔しい。J1でずっとやってきた人が、自分のような無名の選手に取られるのは悔しい」
「それなのに励ましてくれた。自分もずっと(試合に)出られず悔しい思いを味わってきたからこそ、そういう人たちのためにも頑張りたかった」

自身も、光の当たらない場所で耐える時期が長かった。大洋のような広い慈しみの心を――という名に違わず、他人を自然と思いやる。だからこそ、そのキャラクターはチームに受け入れられてもいる。
「ライバルだけど、仲間だから」。昨季、高橋は二ノ宮も含めたセンターバック陣の名を1人ずつ挙げながら、そう強調していた。おそらく、どちらが先でも後でもない。

讃岐戦で最終ラインを組んだ同い年の杉田隼も証言する。
「慈洋自身がみんなに好かれているから、好きにやってもらって、自分がカバーするくらいでよかった。それが今日の試合ではうまくできた」

信頼を勝ち取っているからこそ、その言葉は聞く者の心にストンと落ちる。
そのほかにも190cmの身体には、松本山雅の先達から学んだ多くの叡智が詰まっている。

高卒ルーキーで加入した2022年。現アカデミーロールモデルコーチのDF橋内優也に、言語化の大切さをこんこんと説かれた。
トレーニング中。当時のGK村山智彦に何度となく背後からキツい叱りを受けていた。ただ、ピッチ外では行動をともにする間柄でもあった。

J2で2・3月の月間MVPに輝いたFW小松蓮(現J2ブラウブリッツ秋田)とMF住田将(現J3FC大阪)について、ともに筋トレを始めたのが2年目だった。
2人に勧められて読書を始めた。積み重ねるべき「今」にフォーカスするため、瞑想を取り入れていた時期もある。

3年目、2024年。当時の加藤望ディベロップメントコーチが、熱意を持って手ほどきした。「ボールの受け方とか、相手の逆を取るとか、立ち位置とか。本当にたくさんのことを教えてもらった」という。
高校時代までに何かの実績を残したわけではない。当初から、周囲には晩成型だと目されてきた。それでも、良質な刺激を受け、自らかみ砕き、少しずつ発芽へのエネルギーを溜めていた。

宮崎で味わった“強烈な苦み”
数々の悔しさを糧にして芽吹く
ただ、この日のピッチに立つまでに、苦労は多かった。
挫折しそうになったこともあった。
高卒ルーキーで加入したのが2022年。その年はフィールドプレーヤーで二ノ宮だけが唯一、どの公式戦でも一回もピッチに立つことなくシーズンを終えた。

そして苦難を味わったのは2年目の23年。8月、九州リーグ1部のヴェロスクロノス都農に期限付き移籍する。地域リーグだから試合に出られるか――と言えばそうではなく、出場はゼロ試合だった。
ピッチが遠い事実もさることながら、試合中に定められた「立ち位置」が二ノ宮の心を強く波立たせた。
ゴール裏。
アカデミーの選手たちと一緒に、ピッチのチームメイトを応援していた。毎試合だ。
「僕はここに、何をしに来たんだろう」
本当に自分はサッカー選手なのだろうか――。Jリーグのピッチは遥か雲上に感じられる、九州リーグの観客席で声を張り上げていた。

さらに時間を巻き戻せば、中学時代もピッチは遠かった。地元の強豪クラブ・前橋FCに所属したものの、試合出場の機会は少なかったという。
https://www.jfa.jp/match/club_youth_u15_2018/team_detail/15.html (2018年の第33回日本クラブユースサッカー選手権U-15サイト。背番号2が中学3年生の二ノ宮だ)
良い時期の方が、圧倒的に少なかったと言っても過言ではない。それでも地中深くの種は、芽吹こうとする意志を絶やさなかった。

大丈夫、自分信じてやるしかない。大丈夫、だいじょうぶ、ダイジョブ――。
中学時代から好んで聴いてきたラップのリリックが、前向きなエネルギーや闘争心を吹き込んだ。周囲のチームメイトやスタッフ陣は、まっさらな種に水や肥料を与え続けた。

それがようやく、地中から芽を出した。光の当たる場所まで伸びて、若木となった。
冷静にミス少なくプレーはしたものの、まだ一歩目を踏み出したばかり。まっすぐ速く伸びる針葉樹か、じっくり幹を太くする広葉樹か。その行く末がどうであれ、松本山雅の最終ラインには一本の柱が立とうとしている。

4月20日のリーグ戦第10節、ホームに迎えるのは栃木シティFC。Jリーグ初参戦ながら、圧倒的な攻撃力で2位と旋風を巻き起こしている。この難敵を食い止めれば、さらに大きな自信を得ることができるだろう。
「一つも落としてはいけない大事な試合が続く。1試合に人生を懸けるつもりでこれからもやっていけば、気持ちの入ったプレーはできると思う。変わらずに1試合1試合戦っていきたい」

讃岐のミックスゾーン(取材エリア)で、最後にそう結んだ二ノ宮。実体験を得て紡いだその言葉は否応なく、強い説得力を帯びていた。
J3リーグ第10節 栃木シティFC戦 試合情報
https://www.yamaga-fc.com/match/detail/2025-j3-match10
クラブ公式サイト
https://www.yamaga-fc.com/
Jリーグ公式サイト選手紹介 二ノ宮慈洋
https://www.jleague.jp/player/1636255/#teamplay