【Farewell-Interview】創設10年 退任の篠崎寛監督「ガロンズの未来のために」

長野GaRonsを創設から10年間率いた篠崎寛監督が、2024-25シーズンをもって退任することが決まった。実業団チームの富士通グループ長野から独立してチームを作り上げ、国内最高峰リーグへの参入を目指して疾走した10年。その節目に、退任の真意とチームへの思い、そして応援してくれた「同志」へのメッセージを、独占インタビューで語ってもらった。

取材:原田 寛子/編集:大枝 令

韮崎社長との話し合いの中で決断
「強くなるための変化が必要だ」

――ご退任の発表から1カ月ほど経ちました。どのようなお気持ちでいらっしゃいますか。

やはり10年間携わったチームなので、心配な部分もあります。チーム状況は決して悪くありません。ですが、8チーム中6位という成績、8連敗してしまったこと。これは良いことではありません。

退任にあたり、(クラブ運営会社の)韮崎代表取締役と話し合いをしました。これまではほとんどのことを私が決断してきましたが、今回韮崎氏が「自分が責任をもってやっていく」という話をしてくれました。

チームや地域に対してさまざまなことを決定していくことには、かなり重い責任が伴います。それを引き受けると言ってくれたことに対して、頑張ってほしいという気持ちです。

――ご退任のきっかけになったことはありますか。

韮崎氏との話し合いです。最終ホームゲーム、東京ヴェルディ戦の土曜日の夜に「話し合おう」と言われました。その中で「どちらかが(成績低迷の)責任を取らなければいけない」ということになり、一晩ずっとよく考えました。

どういう思いで韮崎氏が自分に「話し合おう」と言ったのか、今後のチームをどうしたいのかなど。その上で翌日もう一度韮崎氏と話した時、「チームが強くなるために変化が必要だ」という気持ちと、「SVライセンスを取得することに意味がある」という初志貫徹した揺るぎない思いを改めて感じました。

今年の結果を受け「これから強くなるために変わる」と言うためには、それなりに見えるものがなければいけません。その変化の一つになるのは自分の退任だと考えました。

PROFILE
篠崎 寛(しのざき・ひろし) 1969年11月5日生まれ、長野県須坂市出身。現役時代は長野工業高でプレーし、卒業後は富士通川崎へ。そこから帰郷して長野GaRonsの前身・富士通グループ長野に在籍した。引退後も監督として携わる。2015年にVリーグ参入のため、株式会社信州スポーツプロモーションを設立して長野GaRonsを結成。それ以降は GMや監督などの要職を兼任も含めて務め、2018-19から24-25までは監督としてチームの陣頭指揮を執り続けた。

――以前の取材の際「辞めることが必ずしも責任を取ることにならない」というお考えがあると話してもいました。その中で今回区切りをつけた理由はどんなことでしょうか。

「辞めていなくなることが責任の取り方ではない」というのは同じ気持ちです。ただ、今このチームは自分ひとりのものではありません。自分で作ったチームだし、SVを目指して一緒に夢を追いかけたいという思いは当然あります。

ただ「いつまでも自分の判断でいく」ということがガロンズにとってプラスなのか、と考えた時「違うんだな」と思う自分もいました。

もちろん、チームを離れるのはつらいです。でも、今重要なのはチームの変化。そう考えた時、自分の退任がその一つだと思いました。

――SVライセンスを取るということは、当初から変わらない部分ということですか。

それは変わらずです。自分も韮崎氏も、そこには強いこだわりがあります。その韮崎氏の思いに応えたいという気持ちです。

――退任を発表された後、どのようなお気持ちでしたか。

周りにはきちんと説明しなければと思いました。突然「辞める」と言ったら「何かあったんじゃないか」「体を壊したんじゃないか」とか、心配をかけてしまってはいけない。

リーグが新しくなって、勝ち越せたチームもありましたが格上チームを少しでも追い詰められなかったという結果です。それに対しての責任ということを説明しなければ…という思いもありました。

一時は日々の練習が3〜4人に
どん底の時期を残り越えて

――チームを作ることから始まり10年間率いていらっしゃいました。一度に振り返ることは難しいほど長い期間だと思いますが、その中でも印象に残っていることはありますか。

チームとしてすごく大変な時期がありました。選手もスタッフもほとんどがいなくなってしまった。

日々の練習に来る選手が3〜4人だった時期もあります。あの時は悩みましたね。「Vリーガーとしてこれでいいのか…」と泣けてくるときもありました。練習の取り組み方など、改めて考えたことは印象に残っています。

その時チームに入ってくれた酒井(駿)選手の存在も大きかったです。彼が来てくれたおかげで、今のベースを作ることができたと思います。

「本気でバレーをやりたい」という思いで県外から来てくれた選手がいたのも大きかったと思います。全体的な意識が変わることで方向転換ができたタイミングでした。

――選手の入れ替わりはありますが、10年間見てきてチームとしての変化はありますか。

今の選手たちは本当に頑張る人ばかりです。バレーに対して実直でまじめに取り組んでいます。こういう選手が集まったということは、チームのカラーが出来上がって「ガロンズでプレーしたい」と思ってもらえたから。その根底には今まで在籍していた選手たちがいます。試合に負けて悔しい思いをした、彼らが積み上げて持ち上げたチームです。

週6日の練習、基礎体力作り、ガロンズシステムの構築。実直に取り組んできた選手たちがいたから、今のガロンズができ上がったと思います。

心は常に「同志」とともにあり
これからは自らも「同志」に

――篠崎監督といえば、チームを応援する人を「同志」と呼ぶことが特徴的でもありました。

やっぱり応援の力って強いんです。人間は基本的に気持ち次第です。その人が成長するもしないも気持ち次第。その気持ちを変えたり、支えたりしてくれるのは、仲間だと思います。そして勝負の世界では、仲間の気持ちが勝敗に直結する部分があります。

そう考えた時に「ファン」というのはしっくりこなかったんですよね。一緒に戦ってくれる仲間なんです。だから「同志」だな、というところですね。

――その同志の方々も、非常に驚きを持って受け止めてきました。メッセージをいただけますか。

僕の中でも皆さんに会えなくなるのは、とても寂しいです。応援してもらったり支援してもらったということは、いつまでもずっと心にあります。これからもチームは応援し続けたいので、またどこかでお会いできると思います。

もちろん会場にも応援に行きます。今度は同じ思いを持った「同志」です。会場で会ったら、色々とお話しましょう。そういう場でも感謝の気持ちを伝えられたらいいなと思います。ここまで応援してくださり、ありがとうございました。

――2025-26シーズンを戦う選手たちにメッセージをお願いします。

まずは、ガロンズというチームに来てくれて感謝しています。そして「ガロンズ」という環境の中で「自分とバレーボール」にしっかり向き合ってほしいです。ガロンズはチームであり、仲間。これからも決して逃げることなく、頑張っていってほしいです。ずっと言い続けていますが「継続は力なり」です。

――今後は、何かご予定はありますか。

地元の中学校のバレーを見たりもするので、これからもバレーボールには関わっていきます。県内のバレーボールを盛り上げたい気持ちは変わらずあります。


チーム公式サイト
https://garons.jp/
Vリーグ チーム紹介ページ
https://www.svleague.jp/ja/v_men/team/detail/474


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