“五十前に天命を知った”青野和人チーム本部長 30年ぶりの故郷で自任する使命

「クラブ作りが私の大きなミッションだと思っている」。2025年6月2日付けで信州ブレイブウォリアーズを運営する株式会社NAGANO SPIRITのチーム本部長に就任した青野和人氏はそう語る。長野市出身で、越谷アルファーズを中心に経験を積んだ”熱血漢”が満を持して地元チームにやってきた。そんな青野氏に自身の役割や、思い描くクラブの未来について聞いた。

文:芋川 史貴/編集:大枝 令

30年ぶりの故郷を懐古しつつ
日本一にふさわしい組織作りへ

インタビューの席に着くと開口一番「昨日はしゃべりすぎました」。少々かれた声で笑顔を見せた。

30年ぶりとなる長野県での生活。この日の前日にはチーム関係者と長野市内の店舗で、夜遅くまでバスケットボール談義に花を咲かせていたという。

「だいぶいろいろとお店が変わっていたり、小学校の時に行っていたデパートが変わっていたりとすごく違う街になったなと。変化を感じている」

PROFILE
青野 和人(あおの かずと)1976年4月28日生まれ、長野市出身。東海大三(現・東海大諏訪)高を卒業後、京都産業大に進学。その後は大日本印刷イーグルスでキャリアをスタートさせたものの、入団直後に廃部。仕事を辞めて渡米を決意した。bjリーグが立ち上がったタイミングで帰国し、埼玉ブロンコスで再び日本でのキャリアを歩む。現役引退後は埼玉、京都ハンナリーズ、リンク栃木ブレックス(現宇都宮ブレックス)でアシスタントコーチ(AC)やヘッドコーチ(HC)を歴任。2013年には越谷アルファーズのHCに就任。2020年からはGM兼アソシエイトコーチとして、クラブの成長とB1昇格に貢献した。

2025年6月。新たな役職となる「チーム本部長」として、自身が育った当時はまだ存在していなかった地元のプロチームに帰郷した。越谷などで積んだ豊富な経験とともに。

「正直いくつかはオファーをいただいたけれど、やっぱり熱量とか、『地元へもどこかのタイミングで』とも思っていたので全てが重なったと思っている」

木戸康行社長が掲げる「Bプレミアで日本一」というワードに心を動かされた。

「日本一にふさわしい組織をまずは作らないといけない。その後に日本一が転がり込んでくるような形にしていきたい」

就任に際しての思いを語る。

スクール事業やユースの整備も着々
”信州産プロ”発掘の仕組み構築へ

チーム本部長として、「プロチーム部」「アカデミー部」「チアサポート部」を束ねる。

トップチームでは勝久マイケルヘッドコーチ(HC)のサポート役を担う。

「(自分の役割は)GMはマイケルがしっかりやってくれているので、彼が背負わないようにすること。例えば決めなければいけないことが渋滞しているうちの1つや2つが自分で済むとか、マイケルが時間をとって考えなくていいところで私の決断で済むことはやっていけばいい」

6月8日の青野氏のSNSには、かつてサイモン拓海(現ベルテックス静岡)を発掘した、Tokyo Samurai Showcaseへの視察の様子も投稿された。

そのような世界に広がる人材発掘の仕事もこなす一方で、アカデミーやアンダーカテゴリーの競技力アップや、”信州産”のプロ選手育成にも期待が懸る。

SNSでもユースの練習に参加した様子がたびたび投稿され、ブースター間でも話題を呼んでいる。

投稿の意図を尋ねると、「うちには優秀な広報がいるのでそこは絶対に邪魔をしないように」と前置きしつつ、その真意を口にした。

「頑張ってる人がいたら、そこは気付いてあげたい。自分がすごく良かったと思ったことは、はじめましてのユースの子が『プロを目指しているんです』と言ってくれたこと。もう『応援したいな』と思った」

「内側にあるエネルギーを分かってもらえる。自分が感じて良いなと思ったことは、ブースターを含めたみなさんにお届けしたい」

就任後はアカデミーコーチ陣の間でも週1回のミーティングを設けているという。まだ始めて間もない取り組みだが、「コーチたちの目つきが変化している」と手応えを感じている。

近年では中学部活動の地域移行もホットトピックとして浮上。各地域のクラブチームやユースへの注目が集まっている。

「部活動」と「ユース」を比べた時にどのような違いや良さがあるのか。

「まずは仕組みのところ。試合を観たり、何かで触れて『バスケットをやってみたいな』と思って入ってきた子が、『友達と集まるのが楽しい』などといったモチベーションから、『もっとうまくなりたい』と気持ちが切り替わる瞬間はやっぱりあると思う」

「その時に近くにユースがあったりして、ユースに入ったらチームへの意識やチームワーク、うまくいくことやいかないことも含めて経験値を得ていく環境も既にある」

「そこで『いよいよプロを目指したい』となった時に、その舞台が既にあるとしたら、そこから活躍する選手が地元から出る仕組みを作っていきたい」

今季、Bリーグで活躍していた”信州産”の選手は7人。ここ信州でなくても、地元で聞いたことのある選手が活躍していれば注目を集めやすい。三ツ井利也のように地元でプレーし続けた選手の影響は、言わずもがなだ。

県内のバスケ熱をさらに高めて「ALL信州」を目指す上でも、県内各地に眠る未来のスター選手の発掘は必要不可欠だろう。

カルチャーと思いを繋ぎ大きな輪へ
「クラブ作りが大きなミッション」

生え抜き選手として活躍した三ツ井。退団後の取材に対し、信州のカルチャーに対して思いを寄せた。いま一度、その言葉をリマインドしたい。

「ある程度チームが良くなった状態の中で来てる選手も多いと思うけど、最初からそうだったわけじゃないことをちゃんと知ってほしい」

「その中でファンの人たちが、人数が少ない頃からずっと支えてくれて今がある。そういうことをちゃんと知ってもらって、もっとウォリアーズやファンのコミュニティを愛してほしいと思う」

これに関連させて、チームのカルチャー作りについて尋ねた。

「そういうことはぜひやりたいし、自分自身も文化をちゃんと知りたいと思っている。自分事として捉えてくれるブースターの方もすごく多い印象がある。本当に大きな輪になると思う」

「家庭での会話の中にウォリアーズが出てくるみたいな。育成の側面もそうですし、トップチームの試合の展開、シーズンの流れ、チームづくりや人柄とか、そういうところも触れられるような存在になれば、もっと大きな輪になると思った」

ホワイトリングを黄色に染め抜き、自身の手と声のみでブーストする文化。書き初めや一反もめんなど、ブースター発祥の取り組みも徐々に定着化しつつある。

チームが創設されて来季で15周年。
ここからどのようなカルチャーを積み上げていくのか。

「すでにたくさんの魅力があるクラブだと思っているが、『クラブ作り』が私の大きなミッション。もっとできることはあるし、強いクラブでありたい。ちゃんとクラブが(優勝に)ふさわしい姿になるように」

優勝にふさわしい姿とは、具体的に示すと「志を揃える」ということだという。

「『自分はこういう役割でこれをやります』というのが一見プロの仕事かもしれないけれど、隣の人も巻き込んだり、助けるというのは一つ分かりやすい行動だと思う」

「1+1が2以上になるような声がけや巻き込みができるような組織や人たちを生んでいきたいと思っている」。青野氏は穏やかな表情で展望を語る。

来季の信州は再びB2を舞台に戦う。そしてその翌シーズンからいよいよBプレミアへの参入となる。いわば来季はBプレミアへの準備年。フロント側も組織改編や、青野氏らを加えて組織の強化を図っている。

外で学んできたことをチームに落とし込むのには時間も要する。それでも徐々に風呂敷を広げ、日々奔走する青野氏の表情には充実感がにじんでいた。

多くの経験と実績をぶら下げて故郷へ。新たなカルチャーを作り上げ、この先何十年と続くであろう信州ブレイブウォリアーズの礎を一つ一つ積み上げていく。


組織体制の変更および人事異動に関するお知らせ(2025年6月2日)
https://www.b-warriors.net/news/detail/id=17018

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