信州スポーツキングダム1周年 愛するこの地を“王国”とするために

信州スポーツキングダムが2024年9月5日に産声を上げてから、早くも1周年が経過した。ローンチ以降、365日の間に303本の記事を公開。一つの地方自治体に絞ってプロスポーツを中心に取り扱う、完全無料のWEBメディア――。日本国内でも前例の少ないチャレンジとなり、書き手にとっても大きな刺激だった。そこで今回は各番記者が思い入れのある記事を各クラブ1本ずつチョイス。この1年を振り返ってもらいながら、2年目への抱負をお届けする。
文:田中 紘夢、芋川 史貴、大枝 史、原田 寛子、大枝 令
KINGDOM パートナー
田中 紘夢(たなか・ひろむ)
AC長野パルセイロ
昨季をクラブワーストの18位で終えたAC長野パルセイロ。今季は藤本主税新監督に再建を託しましたが、プレシーズンは試行錯誤の連続で、トレーニングマッチでの大敗も少なくありませんでした。
期待と不安が入り混じる中で迎えた開幕戦。試合を決めたのは、藤本監督がロアッソ熊本時代にも指導していた”教え子”たちでした。 樋口叶選手のラストパスから、藤川虎太朗選手が決勝点。元熊本コンビの活躍で1-0と勝利し、不安から解き放たれるような感覚になりました。
「赤馬の呼吸」というタイトルで、熊本のサポーターにも喜んでいただけて何よりです。
AC長野パルセイロ・レディース
AC長野パルセイロ・レディースを取材し始めたのは2021年。諏訪市出身の伊藤めぐみ選手は高校を卒業し、プロになったばかりでした。当時は右も左も分からず、ボールを受けることすら怖かったそうです。
そんな伊藤選手は1年目から主力に定着し、3年目には当時21歳ながらキャプテンに就任。名実ともにチームを代表する選手になりました。インタビューでも何度もお世話になり、力強い言葉を発していただいて感謝しかありません。
今季は4年間を過ごした地元クラブを離れ、強豪のサンフレッチェ広島レジーナへ。チームとしては痛手に違いなく、個人的にも寂しさはありますが、どこに行っても彼女の故郷から応援し続けます。
ボアルース長野
クラブ史に刻まれるほどの名ゲーム。1-3で迎えた終盤に3発、残り5秒でスコアをひっくり返す大逆転劇でした。フットサルの醍醐味が詰まった試合で、勝ち越した瞬間は思わず叫びました。
思い返したのは、3シーズン前のF1・F2入れ替え戦です。ボアルース長野は第1戦でしながわシティに1-2と敗れ、運命の第2戦へ。2戦合計1-4と突き放されるも、終盤に3ゴールを決めて4-4の同点。F1チームのアドバンテージによって残留を遂げました。
そんな”奇跡の残留”を彷彿とさせるかのような大逆転劇。前週の試合では、当時キャプテンを務めていた青山竜也さんが応援に駆けつけていました。彼の魂が後輩たちに宿ったのかもしれません。
4年前、東京から長野に拠点を移したばかりの頃。のちに信州スポーツキングダム発起人の一人となった大枝令さんから、「最高の遊び場へようこそ!」と言われたのを、昨日のことのように思い出します。
スポーツは珠玉のエンターテイメントです。その価値を最大化し、人々の生活を豊かにするのが私たちのミッションですが、どれだけ実現できているかは定かではありません。
ただ一つ言えるのは、伝達者である自分自身が楽しまなければ、周囲に魅力は届けられないということ。幸いにも長野県はプロスポーツが盛んで、追いきれないほどのイベントが詰まっています。まさに”最高の遊び場”だと実感する日々です。
バラエティボックスから何を取り、どう楽しむかは人それぞれ。その楽しみ方の幅を広げるべく、今後も現場に足を運び続けます。
KINGDOM パートナー
芋川 史貴(いもがわ・しき)
信州ブレイブウォリアーズ
日本を代表するビッグマンの渡邉飛勇選手と、将来有望の若手ビッグマン・狩野富成(トヨ)選手の成長が一番見られた試合。トヨのインサイドからのパスを飛勇さんがキャッチして3ポイントシュートを沈めたシーンは今でも鮮明に覚えています。
「狩野新聞」として”ブラザー”に真剣に質問していた彼が、このオフには実際に代表デビューするなんて、この記事を書いている時は夢にも思いませんでした。
信州の地から、日本バスケの未来が見えた思い出深い二人の記事です。
飛勇さんへの取材の時に日本語が通じず助けてくれたのがトヨでした。年齢が僕と近いこともあり、そこから少しずつ仲良くなれました。
ロサンゼルス五輪では、飛勇選手とトヨ、そしてジョシュ・ホーキンソン選手のトリオが一緒のコートでプレーするのを見てみたいです!!
読者のみなさんにもとても感謝しています。みなさんの日々の応援やメッセージのおかげで、「もっと良い記事を書こう!」と頑張れています!2年目はもっともっと面白い記事、会場の熱気が伝わる記事を書けるように頑張ります!
大枝 史(おおえだ・ふみ)
VC長野トライデンツ
シーズン前の故障から復帰したセッターの中島健斗選手。取材の際にご本人のセッター観が揺らいでいるのを感じ取り、苦悩、迷いに突っ込む質問ができました。
長いリハビリ期間の焦燥感なども含め、選手の内面を深く掘り進めた記事が書けました。
後日談ではありますが、この記事が出た後の試合後会見で他社さんが中島選手に対して「他社さんでこういう記事があったのですが」と、この記事を引用された質問をされていた時には少し口角が緩みました。
なぜ私が今こうして書いているのか、不思議に思う日も未だにあります。
なし崩し的にスタートした生活ではありますが、「十分な下調べ」「知ろうとすること」「謙虚であること」を心掛けてよりよい記事を提供し、信州スポーツの魅力を多くの人に伝えられる人間でありたいと思います。
原田 寛子(はらだ・ひろこ)
信州ブリリアントアリーズ
「初代王者」という一度きりの称号を目指してシーズンを戦い抜いた選手たちが、その頂点に立つ瞬間にシャッターを切れたこと。熱のこもった生の声を聞かせていただけたこと。忘れられません。
選手たちにとって大事な瞬間を伝えるという大役です。取材も記事も、これまで以上に緊張しました。私自身がとても勉強させていただいた試合であり、写真であり、記事です。
長野GaRons
GAME1の悔しさをバネにGAME2で勝つ、という「気迫」がチーム全体から爆発した試合だったと思います。
長野GaRonsの魅力のひとつでもある「気迫」を、記事で伝える難しさがありました。文字からも気迫のオーラが出るようにしたい、と長野Gの場合は特に考えるようになった記事です。
また、若手選手もベテラン選手も活躍して多くの選手に話を聞くことができたので「全員のコメントを載せたい」と悩んだ記事でもありました。この他にも「泣く泣くコメントカット」は私の中で数多くあります。
信州Aries、長野GaRonsともに、私の初取材は2020年12月でした。当初は1年に2回ほどの取材でしたが、信州スポーツキングダムで改めて両チームの担当を拝命し、シーズンを通してチームを取材するという貴重な経験をしています。
まずは、その機会をくださった大枝令さんに感謝します。まだまだ未熟な部分もあるため、より良い記事をお届けできるように日々精進していきます。
大枝 令(おおえだ・れい)
松本山雅FC
裏方にスポットを当てたい…という思いをいつも温めており、それを記事に昇華できた一本でした。アウェイ讃岐の現地にいた自分自身もアクシデントの当事者となり、現場で二転三転する対応に苦労の痕跡を感じていました。
現象の奥には理由が必ずある。その考えを基に後日取材をかけさせていただき、稲福駿・広報担当や当時の白木誠主務などから話を聞いて時系列で詳細をトレース。状況ごとに判断が変わるハラハラ感をドキュメントタッチで仕上げました。
タイムリーに公開できたこともあってか反響が大きく、縁の下の力持ちに光を当てることができたと自負しています。ただ記事で取り扱った事象だけではなく、常に多くの人の支えがあって成り立っている――ということにも思いを馳せていただけたのなら幸いです。
その他
こちらもある意味で裏方のご紹介。この1年で一気に全国的にも名を馳せた信越放送(SBC)の平山未夢アナウンサーが、Jリーグの実況にデビューする直前の記事です。
第一報を早めにキャッチした段階で、サイト公開時の目玉の一つにしようと思ってアイデアを温めていました。企画案以外には何もない状態なのに取材を受けてくださった信越放送さまには、今でも感謝しきりです。
執筆に際しては、Jリーグの担当者と何度も連絡を取り合って過去の事例を照会するなど、確認を徹底。今だから明かせますが、いわゆるジェンダーの文脈に乗せるかどうかも、さまざまな判断材料を集めながら熟考を重ねました。
前例のないチャレンジでした。
それでも各クラブにご協力いただきながら、多くの方々に読んでいただいて1周年を迎えることができました。ひとえに皆さまのおかげです。
そして私たちの挑戦を後押ししてくださるパートナー企業・個人の皆さまにも、この場を借りて御礼申し上げます。本当にありがとうございます。
さて、1周年です。
無我夢中で駆け抜けて、あっという間にこの日を迎えました。信州プロスポーツの新たな魅力、伝え切れていない魅力を発掘する――というコンセプトで、月曜〜金曜の週5回を基本として1日1本の記事を公開してきました。
土日の更新を避けるのは、「週末はホームゲームを見に行ってほしい」という思いだけです。
イメージは「信州スポーツ きょうの一皿」。その時に旬を迎えている食材に、しかるべき手間をかけてお客さまに味わっていただくように取り組んできました。
おかげさまで、想像していた以上の反響がありました。とりわけバスケットボール、バレーボールに関しては既存メディアが少なかったことなどから、ファンの方々を中心にご愛顧いただいております。
最もうれしかったのは、行動変容に繋がったことです。「楽しそうだから見に行ってみよう」「行ってみたら楽しかった」などといった反応を見るにつけ、新たな発見をお手伝いできたことが無上の喜びとなりました。
この1年、そうした営みを繰り返すことによって、信州・長野県が「スポーツキングダム」になるための第一歩を踏みしめられたのではないかと自負しています。
ただし、目指す高みはまだまだ先にあります。信州スポーツが、この地に住み暮らす皆さまにとってかけがえのない価値を帯びる存在となるために――。私たちの挑戦は2年目も続きます。